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飯山一郎の白蛇様
『文殊菩薩』  What?  Photo 末世の争乱近し.英雄出ず.ひたすら健康延命図るべし.

※ 一日一食は聖者の食事。一日二食は人間の食事。一日三食は動物の食事。 記 事    

長門の楊貴妃伝説

楊貴妃の墓
長門市にある楊貴妃の墓

山口県長門市の海岸に突き出た半島には楊貴妃の墓があり、中国より楊貴妃が亡命してきたとの伝説が残っている。

唐の玄宗皇帝に中国一の美女として皇帝の寵愛を受けた楊貴妃だが、正史では若くして殺されたことになっている。

安禄山の反乱により長安が攻め込まれ、皇帝と妃たちが四川に逃げる途中で、皇帝を守る兵士たちが楊貴妃殺害を要求したためだ。

兵士たちは、皇帝を政治から遠ざけて安禄山を反乱に追い込んだのは楊貴妃が原因だと主張し、彼女の殺害を要求したのである。

皇帝は兵士たちをなだめる為に、愛してやまない楊貴妃の殺害をやむなく許可したのであった。

ところが、長門市には楊貴妃が替え玉を使って死を逃れ、秘かに日本に亡命したという伝説があり、彼女の墓まで立てられているのだ。

なんと、唐の高級官僚となっていた遣唐使の阿倍仲麻呂が、秘かに楊貴妃を匿って日本に亡命させたというのである。

ちなみに、阿倍仲麻呂と安倍晋三には直接の血縁関係はないが、祖先をたどれば阿倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)に行きつくという説もある。


野崎晃市(42)

安倍晋三と長州藩人脈

萩の城下町
萩の城下町の川にかかる橋の上で

『放知技』では飯山翁が安倍晋三のルーツとして、長州藩出身の首相たちとの関係を明らかにする連載をしている(記 事)。

長州藩出身の首相の一人として田中義一が挙げられていたが、ちょうど私は去年に故郷に帰った折に田中義一の旧宅を萩に訪れているのだ。

私の故郷の島根県益田市には萩・石見空港があり、車で1時間ほど海岸沿いに走れば萩市に到着する。

ちょうど萩ではハッサク祭りが開催されており、ハッサク食べ放題を目当てに行った会場が田中義一の旧宅だった。

田中義一旧宅のすぐ後ろには川があり、家のすぐ裏から船で海に出る事が出来るようになっている。

萩市は船で荷物や人の移動ができるよう運河や川が巡らされており、密貿易が盛んだったことを伺わせる町の作りだ。

さらに、飯山翁によれば安倍首相がプーチンを接待した隣町の長門にも、安倍首相の出自の秘密が隠されているという。

萩の隣の長門も私の故郷の益田市と関係の深い場所で、この周辺を治めていたのが柿本人麻呂の子孫を自称する益田氏だ。

益田氏は毛利氏の家来で元は益田市周辺の豪族だったが、関ヶ原以後に領地を削られた毛利氏に従って萩の隣に位置する須佐に移動し長州藩の永代家老となった。

益田氏が治めた須佐は名前からわかるようにスサノオと関係が深いし、長門には楊貴妃の墓もあって古来より中国や朝鮮からの渡来人が多い場所だ。

飯山翁の明治維新の真相を探る連載は、鹿島昇や落合莞爾の洞察史観をさらに超えて日本建国の謎まで解き明かしてくれそうだ。


野崎晃市(42)

長春は扶余の故郷

農安
扶余国の首都があった農安古城遺跡

吉林省長春市の郊外にある養豚場の糞尿処理にグルンバを導入したいとの話があり、急きょ吉林省に向かうことになった。

養豚場があるのは長春市の郊外にある農安県なのだが、ここは百済の源流となった扶余国の首都だった場所だ。

扶余国は前2世紀ころから鮮卑と高句麗に挟まれた現在の吉林市から長春市付近にあった国で、494年に高句麗に滅ぼされるまで存続した。

扶余族はツングース系のブリヤートやエヴェンキに近い民族で、日本人や朝鮮人のルーツの一つではないかとの説もある。

百済の王族は扶余族の血を引いていたとされており、日本に亡命した百済の王子は扶余豊璋と名乗っている。

古代日本人の源流を求めて東夷の住んだ山東省から、東夷の一支である扶余族の故郷にたどり着いたのも何かの縁であろうか。


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溥儀と五人の女たち

溥儀と五人の女たち
王慶祥著『ラスト・エンペラーと五人の女たち』英語版

今日は清朝最後の皇帝である「ラスト・エンペラー」溥儀の研究で有名な王慶祥氏から電話があった。

王慶祥氏は中国の社会科学院で長年にわたり満州国と溥儀の研究をしている学者で、私とは十年来の付き合いがある。

王慶祥氏の著作は『溥儀日記』『最後の皇后』『わが夫、溥儀』『最後の皇妃』などが日本語にも翻訳されおり、世界的によく知られた溥儀の研究家だ。

私とは以前に共著で「川島芳子は生きていた」と題する論文を『歴史通』という雑誌に発表したこともある。

最近、王慶祥氏は『ラスト・エンペラーと五人の女たち』と題するシリーズを執筆し、溥儀と婚姻関係にあった婉容・文綉・譚玉齢・李玉琴・李淑賢の五人の夫人たちの伝記を出版した。

すでに英語版は出版されているのだが、王慶祥氏は満州国や溥儀と関係の深かった日本でもぜひ出版したいと希望している。

この本は読み物としても面白く歴史学的にも価値のある著作なので、興味のある出版社があればこのブログまでご連絡をお願いしたい。


野崎晃市(42)

柿本人麻呂と出雲王朝(3)九州年号について

継体天皇像
継体天皇像


古田武彦氏らの「柿本人麻呂=九州王朝説」を支える理論的支柱の一つが、いわゆる「九州年号」である。「九州年号」と呼ばれる大和王朝の記録とは異なる年号が記された文献が九州を中心に発見されていることから、古田氏はこれを「九州王朝」の実在を証明する証拠とした。

古田氏が「九州年号」へ目を付けた点はすばらしいが、古田氏の説は「出雲王朝」を考慮に入れないため幾つかの点で間違った結論を導き出している。まず問題は「九州年号」が継体天皇の統治期間から始まっていることから、古田氏が継体天皇を九州王朝の出自としている点だ。

確かに古田氏の主張のように九州の日向を発祥地とする神武天皇から第25代の武烈天皇までと、継体天皇の間には王朝あるいは血脈の断絶がある。ただし出雲族の富氏の伝承によれば継体天皇は「九州王朝」の出身ではなく、「出雲王朝」の血を引く出雲族から出た天皇であった。それに不満を持つ九州の勢力が新羅と組んで反乱を起こしたのが、九州の筑紫を舞台とした磐井の乱である。

九州の日向を発祥地とする神武天皇は、出雲族を始めとする各地の豪族と政略結婚を重ねながら大和地方に政権を打ち立てた。しかし武烈天皇は適任の後継者を得られなかったため、これまでの神武の血統とは異なる出雲族の系統から継体天皇・安閑天皇・宣化天皇の三代を出した。その後に三代にわたる出雲族の天皇の治世は比較的短期間で終わり、代わって物部氏や蘇我氏らが台頭してくるのだ。

つまり「九州年号」は「出雲王朝」の役割を考慮に入れると、柿本人麻呂と「九州年号」の関係についても再考する余地が多分にあるのだ。しかし、その作業は紙面と時間を費やすことになりそうなので、続きはまた少し時間をおいて発表させていただきたい。

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柿本人麻呂と出雲王朝(2)柿本人麻呂の出自

柿本神社
奈良の葛城柿本神社


奈良県葛城市柿本にある柿本神社の伝説によれば、柿本人麻呂の両親は石見に来る前に葛城に住んでいた。柿本氏の出自は第五代孝昭天皇の子孫で、同じ系統からは春日氏・和邇氏・小野氏などが出ている。葛城地方は神武天皇から数代にわたり天皇が即位した場所で、柿本氏の先祖とされる孝昭天皇の宮殿跡などもあり、それらの天皇の時代は葛城王朝とも呼ばれる。

出雲族の伝説によれば神武天皇と名乗る人間は七代おり、先代が死ぬと後継者が後を引き継いだため統治年数が長いのだという。最後の七代目の神武天皇は大和地方に進出していた出雲族と戦ったが、ヤタガラスと呼ばれる朝鮮からの渡来人を味方につけたため優位に立った。

征服した出雲族を静めるために、葛城王朝の天皇一族はしばしば出雲族から妻を迎え融和に努めた。さらに葛城地方には神武天皇が戦って征服した出雲族の子孫が住んでおり、天皇家と閨閥関係を結んだ鴨氏は有力な出雲族の住民であった。

そのため葛城王朝は出雲族の血が濃く融合することとなり、九州の日向を発祥地とする神武系の天孫族と出雲王朝の子孫のいわば連合王朝のような様相を呈した。こうして柿本氏が住んでいた葛城地方には濃厚に出雲の血筋と神話が伝わっていたため、柿本氏が出雲大社建設という大型土木事業に関わることになったとしても不思議ではない。

益田市の戸田柿本神社の伝説によれば、柿本氏は益田に先に移住していた同族の小野氏を頼って石見に来たという。人麻呂は益田に来た時には既に7~8歳だったという説もあり、奈良で生まれて幼少時に親と共に石見に引っ越したのかもしれない。

ちなみに益田市の名の由来となった石見の豪族の益田氏は柿本人麻呂の子孫を名乗り、後に毛利家に従って長州藩家老となったため現存する柿本神社の七・八割が島根県と山口県にある。

野崎晃市(42)

古代出雲王朝の謎

出雲
古代の出雲大社の巨大な柱


日本国の成立や『古事記』『日本書紀』などの古代史を考える上で避けて通れないのが、島根の出雲地方に伝わる古代出雲神話であろう。なにせ『古事記』『日本書紀』の記述の三分の一にあたる分量が、出雲神話をベースにしているのである。

さて出雲地方には古代出雲の大国主命の子孫を名乗る人たちがいて、『古事記』『日本書紀』とは若干異なる神話を口伝で伝えている。そのうち有名なのが故・富當雄氏で、この方は産経新聞の記者で司馬遼太郎の先輩だったことから口伝の存在が世に広く知られることになった。

出雲族に伝わる伝承によれば、『古事記』『日本書紀』は時の支配者に都合のいいように書き換えられていている部分が相当にある。例えば「国譲り」神話の真相は、出雲族が天孫族により虐殺され無理やり政治権力を奪われた事件であった。その後も出雲族はしばしば権力者に迫害されたため、多くの場合に伝承は一子相伝の形で秘かに語り継がれてきた。

出雲族は今から4000年ほど前に北のシベリアの方から日本に下って来たので、民族的にはアイヌに近い人種であったようだ。出雲王朝の支配は最盛期には北九州から近畿地方までの広範囲に渡り、各地の有力者が出雲に集まったことから出雲だけは十月を神在月と呼ぶ。

その後に出雲王朝は朝鮮や中国から来た渡来人から何度も侵略されるようになり、もともと争いを好まない民族だったので戦に敗れることが多く、そのため神話には事実が歪められて記述されたという。

例えばスサノオは大国主命の先祖とされているが、実際には朝鮮から出雲に来た騎馬民族系の侵略者で、現地の娘と結婚して出雲地方に居ついた外来者だという。

また神話では大国主命は兄弟にいじめられて2度死んだことになっているが、実際には九州から船に乗って攻めて来た天孫族に殺されてしまったのだという。そもそも大国主というのは個人名ではなく出雲王朝の王の称号で、別の人間が後を継いだことを神話では復活したと記述したらしい。

明治の初期までは各地の神社に『古事記』『日本書紀』とは異なる伝承が書かれた古文書が存在したが、その多くが帝国博物館や宮内庁関係者によって持ち出されて戻ってこないという。その理由は推して知るべしである。

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