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『文殊菩薩』  What?  Photo 末世の争乱近し.英雄出ず.ひたすら健康延命図るべし.

※ 一日一食は聖者の食事。一日二食は人間の食事。一日三食は動物の食事。 記 事    

中国の取引所閉鎖でビットコイン大暴落

ビットコイン
ビットコインの崩壊が始まった?

中国の金融当局がビットコインに対する規制を通知したため、中国のビットコイン取引所が相次いで閉鎖を発表している。

JPモルガンCEOのダイモン氏がビットコインを詐欺だと批判した直後でもあり、ビットコインは大暴落を始めたようだ。

中国当局による規制強化は、当局の監視できない資産の海外流出やマネーロンダリングへの悪用を懸念したものと思われる。

今は駆け込み需要があるようだが、高い比率を占めていた中国人が完全撤退すれば、ビットコイン市場に大きなダメージとなるはずだ。

同時期に北朝鮮のハッカーによるビットコイン盗難の懸念も出てきたことからすると、ビットコイン潰しの動きが始まったのかもしれない。

ビットコインの安全性に疑問が生じた後には、国家が全ての経済活動を監視するための仮想通貨&電子マネーが登場して来るであろう。

野崎晃市(43)

中国が将来的にガソリン車廃止を検討

BYD宋EV
中国で話題の電気自動車 BYD宋EV

英・仏・独などが排気ガス規制のため2040年を目標にガソリン車を廃止し、段階的に電気自動車へ移行する政策を発表している。

これを受けて、中国でも2030年ごろを目標にガソリン・ディーゼル車の販売を禁止して電気自動車へ移行する検討に入ったようだ。

先日、長春の同じマンションの住人が新車に乗っていたので話を聞くと、中国で新発売された話題の電気自動車を購入したという。

彼によれば、新車はBYD宋EVという電気自動車で、プリウスや日産ノートよりもデザインがカッコよく性能も引けを取らないとのこと。

しかも、BYDは電池開発に力を入れており、電気自動車のネックである電池劣化に対応して無料の永久保証があるので安心して乗れる。

ただし、販売価格が日本円で約400万円とやや高額だが、今なら政府の補助金が100万円出るので実質300万円前後で購入できるという。

今はまだ値段が高めの電気自動車だが、十年後には技術革新により値段が半分くらいになり、お手ごろな価格になるだろうという。

中国メーカーの電気自動車が爆売れとなると、日本に中国産の電気自動車が輸入されるようになるのは時間の問題かもしれない。


野崎晃市(43)

中国の空港に顔認証システム導入

顔認証システム
顔認証システムで個人を特定

今日は商談のため長春空港から山東省の済南空港に飛んだのだが、長春空港に新しく顔認証システムが導入されていて驚いた。

顔認証システムはパスポートやIDカードのICチップの中にある顔写真データと、実際の乗客の顔を比較して認証を行うシステムだ。

生体認証といえば、これまでは指紋や目の網膜などが利用されていたが、顔認証は鼻口目といったパーツの位置で本人を特定する。

鼻や口や目といった顔のパーツの比例や位置は人によって異なり、成長後は太ったり痩せたりしても基本的には変わらないようだ。

顔認証で偽造パスポートや他人のなりすましを防ぐことができ、長春空港では導入後一か月で三人が偽造パスポートで捕まったという。

日本の一部の空港でも来月から顔認証システムが導入される予定だが、中国のほうがいち早く導入して利用を始めたようだ。

今後は顔認証システムが防犯や人物特定、あるいは携帯電話のロックなど様々な分野に応用される事例が増えるはずだ。


野崎晃市(43)

習近平が軍幹部を総入れ替え

李作成
参謀長に昇任した李作成

10月18日に開催される中国共産党第十九回大会を前に、陸海空軍司令官など軍幹部が総入れ替えとなる人事が発令された。

今月に入って房峰輝(統合参謀部参謀長)、呉勝利(海軍司令官)、張陽(政治工作部主任)らは規律違反などで拘束された模様だ。

さらに旧瀋陽軍区に影響力を持っていた范長龍(中央軍事委員会副主席)、馬暁天(空軍司令官)は年齢を理由にした退任が決まった。

陸軍司令官だった李作成が房峰輝の後を襲って参謀長に昇任し、范長龍の後任として中央軍事委員会副主席になると予想されている。

新たな陸海空軍の司令官は、韓衛国(陸軍司令官)、丁来杭(空軍司令官)、沈金龍(海軍司令官)といずれも習近平に近い人物が抜擢された。

失脚したり退任が決まった軍幹部は収賄や腐敗の疑いか、習近平の進める軍の改革に抵抗したため首を切られた可能性が高い。

第二期目となる習近平体制を固めるため、自らに忠誠を誓う人物を昇進させ、軍内部での権力基盤を盤石にする狙いがあると思われる。


野崎晃市(43)

中国の新ステルス戦略爆撃機H-20が来月公開か

H-20ka.jpg
中国の新型ステルス戦略爆撃機H-20か?

中国が開発を進めてきたステルス長距離戦略爆撃機のH-20が、今年の中国の国慶節前後に公開されるとの情報がある。

すでにネットなどでは開発中のステルス爆撃機の衛星写真とされるものが出回っており、中国側の意図的なリークだと噂されている。

H-20は米国のステルス戦略爆撃機B-2に似た全翼機が特徴で、ノースロップ・グラマン社のB-2と無人機X-47Bの中間程の大きさだ。

H-20は性能的にも米軍のB-2と開発中のB-21の中間に位置し、航続距離は4300キロに達しグアムの米軍基地を攻撃できるという。

もちろん、H-20は日本にとっても脅威となり得る次世代爆撃機で、太平洋側から回り込んで北海道や東北地方にまで攻撃が可能となる。

中国の軍事力強化で極東アジアの軍事バランスは急速に変化しており、米朝国交正常化や在韓米軍撤退の議論に影響を与えそうだ。

野崎晃市(43)

林徽因伝(7):東北大学の教授となる

吉林西駅
林徽因と梁思成が共同設計した吉林西駅

1928年に、林徽因と梁思成は夫婦そろって瀋陽にある東北大学の建築学部の教授として招かれた。

東北大学は軍閥の張作霖の子供である張学良が創設して運営する大学で、当時は中国の東北地方で最高の学府であった。

当初の建築学部の教授陣は二人だけで、梁思成が学部長として建築学を受け持ち、林徽因が英語教育と彫刻史を担当した。

その後に、梁思成の紹介で同じくペンシルバニア大学で建築学を学んだ陳植・童寯・蔡方蔭らも教授陣に加わった。

梁思成と林徽因は夏休みになると瀋陽の古い建築の調査と測量に出かけ、清朝の皇帝の眠る北稜などの建築や彫刻をスケッチした。

ところが1928年6月には張作霖の爆殺事件が起こり、1931年には満州事変が発生して東北大学で講義を続けることは難しい情勢となった。

東北大学を運営していた張学良が、満州事変で東北地方を占領した日本の軍部と衝突するようになったためである。

そのため、梁思成と林徽因の二人は東北大学の教授を辞して北京に戻り、民間の建築研究機関である中国営造学社に参加した。


以下は林徽因の詩「深夜里聴到楽声」の私訳である。

「真夜中に聞こえた音楽」

これはきっとまたあなたの指が
軽く弾いている音ね。
こんな真夜中に、悲しい思いに耽って。

私のほっぺが赤く染まったことを責めないで。
静かに聞いているの、
この不思議な弦楽器の指使いを。

一つ一つの音が私の心の底を打つわ。
私にはこの寂寥が分かる。
けれど私には応じることができないの。

生命は彼女の方法を早くに決めたの。
とても虚弱だなんて
人々の美しい想像に過ぎないもの。

いつになっても夢の中で以外では
あなたと私は
一緒に希望の弦楽を奏でることはできないの。


野崎晃市(43)


中国がチューブ型リニアモーター鉄道を研究開始

リニア・モーターカー
中国が開発を進めるチューブ型リニア・モーター・カー

中国航天科工グループが、最高時速4000キロにも達するチューブの中を走るリニア・モーター鉄道の研究開始を発表した。

このリニア・モーター鉄道は、真空にすることで空気抵抗を少なくし、チューブの中を浮いて飛ぶように走る夢の鉄道になるという。

もし実現すれば、北京から武漢までを30分ほどで結ぶことになり、飛行機よりも速い速度で移動できることになる。

すでに似たような構想は、米テスラ・モーターズの経営者イーロン・マスクが「ハイパー・ループ」として実験を開始している。

米「ハイパー・ループ」は時速1000キロを目指すとしているが、中国は航空機の技術を応用して最高時速4000キロを目標とする。

日本でも時速500キロのリニア・モーターカーの実用化が予定されているが、既に米中はその先を構想して開発を始めている。

日本のリニア・モーターカーの開通は10年後が目標とされているが、上海では既にリニア・モーターカーが走っており遅れた感が否めない。


野崎晃市(43)

タイタニック号から生還した中国人


タイタニック号から生還した六人の中国人『The SIX』の予告編

1912年に大西洋で氷山に衝突して沈没した豪華客船タイタニック号の物語は、レオナルド・ディカプリオ主演の映画などで知られている。

タイタニック号には八名の中国人が船の機関室で働く労働者として乗り込んでいたが、そのうち六名の中国人が奇跡的に助かったという。

彼ら中国人六名の生存者は誰も乗ろうとしなかった壊れた救命ボートを使ったり、海上に浮いた木につかまって難を逃れることができた。

ところが、後の報道では女装をして不当に救命ボートに乗ったかのように報道され、卑怯な東洋人として不当な非難や誤解を受けた。

これらタイタニック号から生還した六人の中国人の物語が、英国で『The Six』という題名で映画化され来年に上映される予定だという。

ミュージシャンの細野晴臣氏の祖父の細野正文氏は唯一の日本人生存者となったが、やはり同様の人種差別的誤解を受けたようだ。

最近ではアメリカン航空で東洋人が差別的対応を受けた事件があったが、白人社会における人種差別は依然として根強いものがある。


野崎晃市(43)



ポスト習近平は胡春華と陳敏爾

陳敏爾2
ポスト習近平に抜擢された陳敏爾

まもなく開催される中国共産党第十九回党大会では、ポスト習近平を期待される次世代の指導者が指名されるため注目が集まっている。

チャイナ・セブンと呼ばれる中国の最高指導部のうち、習近平と李克強を除く五人は年齢制限のため退任することが決まっている。

その代わりに新しく五人の最高指導者候補たちが選ばれて政治局常務委員となり、将来のトップや首相の地位を争うことになるのだ。

新しく選任される五人の顔ぶれは、陳敏爾・胡春華・汪洋・栗戦書・韓正あるいは王滬寧になるのではないかと予想されている。

このうち、陳敏爾は失脚した重慶市トップの孫政才の代わりに習近平から抜擢され、新たに指導部入りする可能性が高まった。

しかし、陳敏爾は他の候補と比べると知名度が低く中央政府での経験が不足しているため、習近平の後継者になれるかはまだ不確実だ。

彼らは重要ポストで統率力や問題処理能力といった指導者としての資質を試され、もし汚職や大きな失敗があれば失脚の恐れもあるためだ。

中国の指導者の選び方は米国や日本の民主選挙とは異なるが、決して無能な人間がトップになることはない優れたシステムなのである。


野崎晃市(43)


西太后にはイギリス人の愛人がいた?

バックハウス
バックハウスと西太后

清朝末期に皇帝をしのぐほどの権力を振るった西太后だが、イギリス人の愛人がおり妊娠までしていたという説がある。

この説の元となっているのは、イギリス人の作家であるエドモンド・バックハウスが書き残し大英博物館に収蔵されていた手記による。

バックハウスは北京に住み『西太后治下の中国』という書物を著した中国学者としても知られるが、本当の身分はスパイだったようだ。

当時60歳の西太后は30歳も年下で美男子だったバックハウスと頻繁に密会し、彼は周囲から西太后の愛人と呼ばれていたという。

彼の手記には西太后や当時の満州貴族たちとの情事が詳しく記述されており、故宮内部の詳細な描写は実際と符合しているのだ。

ただし、バックハウスの手記は以前より偽作が疑われており、西太后との色恋話も全くのフィクションであると見なす学者も多い。

私が読んだ感じでは彼の手記は全てが真実ではないものの、清朝貴族たちのベッドに入り込んで情報収集していたことは事実のようだ。

つまり、アヘン戦争以降には中国の宮廷深くまでイギリス人スパイが潜入して、清王朝は早くより彼らに乗っ取られていたということだ。



野崎晃市(43)


林徽因伝(6):アメリカへ留学

林徽因
林徽因はペンシルバニア大学を卒業

1924年9月に林徽因は婚約者の梁思成と共に北京を離れ、ペンシルバニア大学に留学するため米国に赴いた。

建築学科は男子学生しか入学できなかったため、梁思成だけが建築学科に入学し、林徽因は美術学部で学ぶことになった。

当時は梁思成の兄弟である梁思永はハーバード大、妹の梁思庄はカナダのマギル大学に留学中であった。

父親の梁啓超から梁思成に中国の宋代の建築法を記した書物が『営造法式』が送られてきた。

この本に感銘を受けた梁思成は中国古代建築史を専門として大学院の博士論文を執筆することになる。

ペンシルバニア大を卒業後に、梁思成はハーバード大学で中国建築史を研究し、林徽因はイェール大学で舞台芸術をそれぞれ学んだ。

1928年3月に林徽因と梁思成は中国駐カナダ総領事館にて正式に結婚し、新婚旅行を兼ねヨーロッパ各地を回って帰国することになった。

二人は1928年8月に中国へ帰国し、軍閥の張学良が運営していた瀋陽の東北大学の建築学部教授に二人そろって就任する。


以下は林徽因の詩『笑』の私訳である。

『笑』
笑っているのは彼女の目、唇、
そして唇の周りの丸いえくぼ。
露の玉のように美しい
たくさんの笑いが
白い歯の輝きの中に隠れんぼ。
あれは笑い、神の笑い、美の笑い
水に映る影、風のハミング

笑っているのは彼女の寝ぐせのついた髪が
彼女の耳にハラハラとかかっているから。
花の影のように軽くて軟らかく
くすぐったくなるほど甘く
あなたの心の中にしみわたる。
あれは笑い、詩の笑い、絵の笑い
雲の痕跡、波のしぶき


野崎晃市(43)

国連主導の極東大開発計画:図們江地域開発

長吉図
長吉図開発開放先導区

図們江は中国・北朝鮮・ロシアの国境に位置するデルタ地帯で、国連機関UNDPのプロジェクトとして大規模な開発が計画されている。

中国・ロシア・北朝鮮が共同で韓国と日本に輸出する港湾都市を造る計画で、将来は香港に匹敵する貿易特区となる見込みだ。

この計画の一部が長吉図(長春・吉林・図們江)開発開放先導区で、習近平が2015年に視察して国家プロジェクトとして認定された。

現在は「一帯一路」にも組み込まれ、2020年を目標にロシアのザルビノ港・北朝鮮の羅津港などへの物流ルートが急ピッチで開発中だ。

この地方の主な農産品は米・トウモロコシ・大豆などで、グルンバによる無農薬で放射能フリーの乳酸菌農業への期待も高まっている。


野崎晃市(43)

林徽因伝(5)タゴールとの出会い

タゴール
梁思成、タゴール、林徽因

林徽因と梁思成が米国留学に出かける半年前の1924年4月に、インドの詩人でノーベル賞を受賞したタゴールが中国を訪れた。

タゴールは蔡元培や梁啓超といった中国の知識人たちの出迎えを受け、英語が達者な徐志摩と林徽因が通訳に当たった。

タゴールは徐志摩と林徽因の親密な関係に気が付いたが、林徽因はすでの梁思成と婚約しており、いわば三角関係のような状態だった。

5月8日にタゴールの64歳の誕生日を祝うため林長民らは英語の舞台劇「チトラ」を上演し、林徽因が主役のチトラ姫を熱演した。

この劇には魯迅や梅蘭芳などの知識人も観客として訪れ、林徽因はこれを機に梅蘭芳と知り合い京劇に興味を持つようになる。

タゴールと徐志摩の交友は後々まで続き、タゴールの詩風は林徽因や徐志摩ら中国ロマン派の詩人たちに大きな影響を与えた。


以下は林徽因の詩「黄昏過泰山」である

「黄昏に泰山を過ぐ」
あの日を覚えているわ
心は一本の長い川のように
黄昏を迎え入れたの
月のかけらが胸に掛かっていたわ

まるでこの青黒い山のように
心は孤高な壁の一面よ
生い茂る緑
忘れられない夜のかすみ
果てしない広漠
足下から風の音が聞こえて
夜がやって来たわ

野崎晃市(43)

米軍ダンフォード参謀本部議長が中国北部戦区を視察

宋普選とダンフォード
中国北部戦区を訪れたダンフォード

中国を訪問中の米軍ダンフォード参謀本部議長が、北朝鮮に接する中国の北部戦区(旧瀋陽軍区)を視察した。

ダンフォードは北部戦区司令官の宋普選と会見して部隊の一部を視察し、北朝鮮問題について意見を交換した模様だ。

宋普選は山東省出身で南京軍区・北京軍区・国防大学校長などを経て、習近平の抜擢で北部戦区の司令官に就任した。

宋普選は南京軍区時代に習近平と何らかの関係があったらしく、2015年の軍事パレードの指揮を執るなど習近平の信頼が厚い。

以前の旧瀋陽軍区では軍事委員副主席だった徐才厚の影響力が強かったが、習近平は汚職の容疑で徐才厚を逮捕させた。

また遼寧省や吉林省でトップとして影響力があった王ミンと孫政才は失脚し、後任には習近平に近い人物が両省に送り込まれた。

さらに北朝鮮に独自のチャンネルを持つとされる序列三位の張徳江は、今年秋の党大会で年齢のため引退が決まっている。

以前は中央から独立志向の強い旧瀋陽軍区だったが、習近平は権力強化に向けた人事配置を進め当該地方への統制を強めている。



野崎晃市(43)

8.15に終わらなかった戦争

蟻の兵隊
山西残留日本兵を扱った『蟻の兵隊』

今日は各地で終戦を記念する行事が挙行されたが、実際には1945年8月15日をもって全ての人に戦争の終結が訪れたわけではなかった。

例えば、山西省太源に司令部を置く日本軍第一軍の兵士たちは、地方軍閥の閻錫山軍への協力を強いられて中国に残留させられた。

司令官だった澄田ライ四朗が兵士たちを閻錫山の元に残す密約を交わし、自分だけはいち早く飛行機で日本に帰国したからである。

残された兵士たちは閻錫山軍と共産党軍の戦に巻き込まれ、生き残った者は共産党軍の捕虜となり1954年まで収容所に入れられた。

私は数年前に元残留日本兵の山下正男氏から話を聞いたが、「司令官が部下を見捨て一番に逃げた」と怒りを込めて語っておられた。

残留日本兵が帰国した後も日本政府は責任を認めようとせず、山下氏が衆議院で証言しても政府からは何の補償もなかったそうである。

福島原発を見れば、日本のトップリーダーが国民を見捨てて責任を取ろうとしない体質が今でも全く変わっていないことが分かるだろう。


野崎晃市(43)

西太后の夜明珠

西太后
清朝末期に権力を振るった西太后

清朝末期に皇帝をしのぐ権力を振るった西太后は死後に財宝と共に墓に埋められたが、最も価値の高かったのが夜明珠である。

西太后の夜明珠は夜の闇の中でも光を放つ不思議な石で、身に付けていると百歩離れた所からも髪の毛が見えるほど光を放ったという。

その夜明珠は現在に換算して100億円以上もの価値があったが、不老不死の効果があると信じられ西太后の死体の口に入れられた。

ところが1928年に戦乱の隙を突いて軍閥の孫殿英が西太后の墓を盗掘し、夜明珠を含む墓の中の金銀財宝を強奪する事件が発生した。

後に孫殿英は蒋介石から罪を責められるのを恐れて、最も価値の高いこの夜明珠を蒋介石夫人の宋美齢に献上することで罪を逃れた。

宋美齢は夜明珠を靴の飾りとして得意げであったそうだが、最終的に夜明珠はロックフェラーに買い取られコレクションに入れられた。

清朝やロシアのロマノフ家が滅亡した時の財宝の行方は謎が多いが、ほとんど同じような経緯をたどって強奪されてゆくのである。

野崎晃市(43)

林徽因伝(4):梁思成との出会い

林徽因と梁思成
林徽因と梁思成

1921年末に17歳となった林徽因は父親と共に北京へ戻って培華女子中学校へ復学し、徐志摩とも物理的に遠く離れることになった。

帰国した林長民は年ごろとなった娘のために良縁の相手を探すことにしたが、父親の目にかなったのが梁啓超の息子の梁思成であった。

梁啓超が日本亡命中に生まれ林徽因の三歳年上だった梁思成だが、当時は清華大学で学びながらアメリカ留学の準備をしていた。

若い二人は建築への興味が一致してすぐに意気投合し、1924年には二人そろって米国のペンシルバニア大学建築学科に留学する。

留学前に梁思成はバイクの転倒事故で足の手術をしたが、入院中の梁思成の傍にはしばしば見舞いに訪れた林徽因の姿があった。


以下は林徽因の詩「時間」の私訳である。

「時間」
この世界で季節は常に移り変わっているわ
春に花のような影をあちこちに残して
あなたは飄然と去って行った
思いがけず戻ったら
誰と一緒に秋を嘆くのかしら

今はもう秋の雲と黄色の葉もなくなったわ
遠くまで灰色の空が広がっているだけ
しみわたるさみしさの中で
あなたは冷たい風の独り言を聞いていられるかしら


野崎晃市(43)

中国空軍機が日本に飛んでくる日

馬暁天
中国空軍トップ馬暁天が「日本海は日本のものにあらず」と発言

今日は長春の空軍航空大学などで第六回中国空軍航空ショーが開催され、戦闘機の展示や飛行隊による演技飛行が行われた。

長春の空軍航空大学は満州国時代には建国大学があった場所に建てられ、大学敷地内には満州国建国忠霊廟の遺跡が残されている。

空軍航空大学の前身は東北民主聯軍航空学校だが、そこで教官を務めたのは戦後も中国に残された旧日本軍の航空隊員だった。

戦後に日本人教官により育てられた中国空軍だが、その空軍機が日本海へ攻撃に向かって飛んで来る日も遠い先ではないかもしれない。

今回のショーを視察に訪れた中国空軍トップの馬暁天上将は、「日本海は日本のものではない。我々は海に出て行く」と発言したのだ。

長春には朝鮮半島有事のために空軍基地を新たに建設する計画もあり、中国空軍機が日本の領空近くに飛来するケースも増えそうだ。


野崎晃市(43)

墨子VSソクラテス

墨子
中国の量子通信衛星「墨子」

墨子VSソクラテスと言っても古代の哲学者のことではなく、日中の量子衛星通信分野の対決のことを紹介したい。

量子通信は未来の通信技術として開発が進んでいる最先端の分野で、盗聴やハッキングを不可能にする技術として注目されている。

去年に中国が世界で初めて打ち上げた衛星「墨子」は、宇宙空間と地上の1200キロ間で量子通信に成功し世界記録を打ち立てた。

先月には日本の情報通信研究機構も超小型衛星「ソクラテス」を使用して、量子通信の実証実験に成功したと報道されたばかりだ。

どちらも古代の哲学者にちなんだ名前を付けられているが、二人の東西の哲学者は同時代を生きており奇妙な因縁を感じさせる。

中国の衛星が「墨子」と名付けられているのは、歴史上の墨子が単なる思想家ではなく防衛技術の専門家でもあったことから来ている。

古代哲学者の墨子は非攻を唱えて他国への攻撃を批判したが、籠城戦などの防衛を高度な技術で実践する軍事専門家の側面もあった。

その名にふさわしく衛星「墨子」は量子暗号鍵の送信実験にも成功し、ハッキングで傍受不能な軍事通信網の構築に近づいた。

つまり、中国の「墨子」は軍事通信網の構築に向けた応用実験なのに対し、日本の「ソクラテス」は基礎実験に成功したに過ぎないのだ。

中国の「墨子」による実験は『Science』誌でも報告され、中国の宇宙軍事開発が世界をリードするレベルに到達したことを示している。


野崎晃市(43)

林徽因伝(3):徐志摩との恋愛

徐志摩と林徽因
徐志摩と林徽因

林徽因がロンドン滞在中にしばしば父親の林長民を訪ねてきたのが、後にロマン派の代表的詩人となる徐志摩であった。

徐志摩は梁啓超の弟子で、コロンビア大学で政治経済を学び、当時は英国のロンドン大やケンブリッジ大の大学院生だった。

徐志摩は林徽因よりも八歳年上で、既に故郷には家長の定めた妻の張幼儀がおり二人の間には子供までできていた。

しかし徐志摩は若い林徽因にのぼせ上り、英国に夫を追って来た妊娠中の張幼儀に離婚を言い渡すほどに夢中になった。

もちろん父親の林長民は林徽因と徐志摩の恋愛に反対したし、梁啓超も徐志摩に手紙を書いて諦めるよう警告した。

最終的には林徽因が家庭のある徐志摩の求婚を拒絶し、友人として付き合う旨を徐志摩に申し渡し二人の恋愛は終わりを告げた。


以下は林徽因の詩「記憶」の私訳である

「記憶」
断続的に曲が流れる
最も甘美な夜
空には一面の星
記憶のよどみの中に
誰にでも二三の美女がいるはずよ
情緒的な花をまとって
名もなく開いた
野生の蓮の香り
花びらには静かな月明り

湖の上に風が吹いて
髪の毛が乱れるの
そして水面には鱗模様の波紋
周りが広大で、まるで夢のよう
彷徨した過去の中心はおぼろげ
誰でもあの絵を知ってるはずよ
水底に沈んだ記憶の影を

野崎晃市(43)
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