飯山一郎のHPへ  里子のブログへ  大気拡散予測と気流予測  皇后陛下ご発言  超 少 食  玄米で乳酸菌  状況認識!  連帯拒絶!
飯山一郎の白蛇様
『文殊菩薩』  What?  Photo 末世の争乱近し.英雄出ず.ひたすら健康延命図るべし.

※ 一日一食は聖者の食事。一日二食は人間の食事。一日三食は動物の食事。 記 事    

中国映画:グレート・ウォール




『HERO』や『グリーン・デステ二ィー』などの映画で知られる中国の張芸謀(チャン・イーモウ)監督が、初めてハリウッドで制作した映画“The Great Wall(中国名は長城)”が話題となっている。この映画は万里の長城をモンスターの襲撃から守る様子を描いたファンタジー映画で、中国版ロード・オブ・ザ・リングのような雰囲気の特撮CG映画だ。

主役はなぜかマット・デイモンで、中国に火薬の秘密を探りに来た西洋人スパイが万里の長城でのモンスターとの戦いに巻き込まれるというストーリーだ。モンスターは中国の饕餮という伝説の化け物だが、これがワラワラとゾンビのごとく湧いてくるのを中国人スターとマット・デイモンがひたすら叩き潰すという内容。

中国では公開されて二週間で8.7億元を売り上げ、張芸謀監督の作品で最高収益を記録する勢いだ。しかし映画評論家たちのこの映画に対する評価は低く、見た目の華やかさに比べストーリーに中身がないと酷評されている。日本では来年4月に公開の予定だ。

張芸謀監督は来年に『文殊菩薩』で何回か取り上げた女流詩人の林徽因を主役とする映画を撮影する予定もあり、先週に主演女優を選ぶ選考会が始まったばかりだ。私としてはこちらの林徽因の映画の出来上がりのほうを期待したい。

野崎晃市(42)

中国国家安全部のナンバー2が失脚

天津大爆発
天津大爆発の現場


中国国家安全部のナンバー2であった副部長の馬建が、規律違反で党籍をはく奪され取り調べを受けている。馬建は天津大爆発の背後にいた組織との関係等が疑われているようだ。ちなみに中国国家安全部というのはスパイを取り締まる秘密警察のような組織で、中国人からも恐れられている組織だ。

2012年にはやはり中国国家安全部の副部長であった陸忠偉の秘書がCIAの長年のスパイであることが暴露されて、直属の上司の陸忠偉が退職に追い込まれる事件があったばかりだ。この副部長だった陸忠偉は日本研究者として知られ、日本での知名度も高かった。

ここ数年の内に続けて二人の中国国家安全部の高官が失脚したわけだが、これは胡錦涛政権で警察と国家安全部の責任者だった周永康が失脚した影響が大きい。周永康は薄熙来と共に習近平に対するクーデターを計画した疑いで逮捕され失脚したが、彼らのクーデター計画の背後にはCIAやMI6という英米の情報機関との連携があったようだ。

こうして周永康が国家安全部の実質のトップであった時代に、かなりの数の英米のスパイが国家安全部の中に採用されて紛れ込んだことが明らかとなってきた。スパイを摘発するはずの国家機関が逆にスパイの巣窟になっていたのだが、最近になり相次いで幹部が逮捕され300人以上が連座して取り調べを受けて組織が再編されたという。

中国の場合にはまだ自浄作用が働いているようだが、日本の場合にはスパイを取り締まる法がないこともありスパイ天国と言われて久しい。むしろ日本ではスパイ・売国奴・邪教徒の組織に属していなければ国会議員・高級官吏・大企業幹部にはなれないと言っても過言ではない。

日本は秘密保護法・共謀罪法・マイナンバー等により、ますますジョージ・オーウェルの『1984』の世界に近付いている。『1984』の描く世界では真理省は情報隠滅が仕事で、平和省は戦争が仕事で、愛情省は拷問が仕事だった。日本の現状も日本売国政府・日本売国会議・日本売国財団と、組織名に「売国」を入れたほうがしっくりくるから恐ろしい。

野崎晃市(42)

近代中国のロマン派詩人(9):徐志摩(じょしま)と張幼儀(ちょうようぎ)

張幼儀
張幼儀と徐志摩


徐志摩と張幼儀は1915年に親の勧めで結婚し、1918年には二人の間に長男が生まれた。1920年には徐志摩の世話をするため、張幼儀もアメリカとイギリスに渡航している。しかし徐志摩はイギリスで林徽因と恋愛関係になり妻の張幼儀に離婚を提案するが、その時に張幼儀は二番目の子供をおなかに宿していた。

離婚した後に張幼儀はパリに留学していた兄の元に行き、その後に兄と共にドイツに留学して幼児教育を学んだ。張幼儀の親族には中国銀行の副総裁となっている者もおり、家庭が裕福であったため暮らしには困らなかったようだ。1926年には中国に帰国して上海の東呉大学でドイツ語を教えた。

その後も張幼儀は銀行を経営する家族の助けで上海の銀行で副総理を務め、アパレル会社を経営するなど実業家として活躍した。徐志摩の両親は離婚後も張幼儀を義理の娘として扱い、徐志摩が陸小曼と再婚する際には張幼儀の同意を求めている。張幼儀は1953年に香港の医者と再婚し、晩年はアメリカに移住した。

張幼儀は徐志摩の自由気ままな生き方を許し、自分で自立して生活する道を選んだ。彼女は裕福な家庭に恵まれ金銭を心配しなくてよかったためもあるが、二人の結婚は張幼儀にとっても不本意だったのであろう。離婚後も張幼儀は息子を連れて徐志摩の実家に出入りし、徐志摩とも会社の共同経営をするなど友人として交際を続けている。

以下に私訳したのは、徐志摩の詩「最後的那一天」である。

「最後のあの日」
春風が再び戻ってこなかったあの年、
枯れ枝が再び青くならなかったあの日、
あの時には空から光が消え失せ、
ただ一面に黒い妖気が漂っていた。
太陽も月も星の光も死んだ空間で、
全ての基準がひっくり返ったあの日、
全ての価値が入れ替わったあの時間、
最後の審判の荘厳の中で暴露されたのは、
一切の虚偽と虚栄と虚空だった。
赤裸々な霊魂が種の前でひれ伏す時、
私の愛する人よ、君と僕は慌てる必要はない。
訴えも、弁明も、隠れる必要もない。
君と僕の心は雪のように白い二つの蓮の花。
愛の青い茎の上で堂々として、喜びに満ちた、鮮やかな花だ。
主の前では、愛こそが唯一の栄光なのだ。

野崎晃市(42)

李白と杜甫が訪れた青州

李白 杜甫
李白と杜甫


李白は宦官高力士の讒言により都を追われて、杜甫と共に山東省へ旅行をすることになる。李白は当時44歳で杜甫は33歳と11歳の差があったが、二人は意気投合して放浪の旅に出たのであった。

漢詩で有名な李白と杜甫は744年に共に、青州の北海太守であった李邕(りよう)の元を訪れている。唐の時代に青州は北海郡と呼ばれ、李邕は北海の太守として青州に赴任していたのである。

李邕は『文選』の注を付したことで有名な文人の李善の子で有名な書道家であったが、率直に諫言する性格のために朝廷から遠ざけられて当時は青州で地方官をしていた。

李白が青州の李邕の元で過ごした際に詠んだ歌が「上李邕」である。李白は年上の李邕に敬意を示しながらも、若さゆえに軽んじられたと感じたらしい。ここで李白は自分を大きな鳥に例えて、若いからと言って軽く見ないでほしいと訴えている。

「李邕に上る」   李白

大鵬(たいほう) 一日 風と同(とも)に起こり
扶揺(ふよう) 直ちに上る九万里
仮令(たとえ) 風歇(やみ)て時に下り来るも
猶お能(よ)く 滄溟(そうめい)の水を簸却(はきゃく)す
時人(じじん)の恒に調(しらべ)を殊にするを見
余の大言(たいげん)を聞きて皆ことごとく冷笑す
宣父(せんぷ)も猶お能く後生(こうせい)を畏(おそ)る
丈夫(じょうふ) 未だ年少を軽んず可からず


野崎晃市(42)

尻尾を出したタヌキ

たぬき
とぼけるタヌキ


天皇陛下がこの秋に発表された皇居に巣食うタヌキに関する論文について、以前に『文殊菩薩』で取り上げたことがある(記 事)。どうやら皇居にはタヌキが巣食っていて、色んなものを食い散らかしているので今生陛下もお困りのようなのだ。

その時にはタヌキの正体が何だか分からなかったのだが、最近になってタヌキが尻尾を出したのでようやく分かるようになってきた。なんと驚くことなかれタヌキの名前は「隠神刑部」といい、天智天皇の時代から生きているというタヌキの妖怪だ。

「隠神刑部」は300年ほど前に伊予の松山城で808匹のタヌキと謀反を起こしたため、武士の稲生武太夫が宇佐八幡菩薩の力を借りて久万山に封じ込めたはずだった。ところが、どうやら近年に封印が解けて復活し、現在はおっさんに化けて皇居に潜り込んでいるらしい。

それにしてもあまりに不思議で信じがたい話なので、妖怪に詳しい仙人に事情を聞いて見た。

Q「隠神刑部とはどんなタヌキですか?」

仙人「こいつめは普通のタヌキではない。なんと東京大学に合格するほどの頭脳の持ち主じゃ。しかも警察官僚になりトップにまで登り詰めた。それでタヌキのくせに刑部と呼ばれておるのじゃ。」

Q「なぜ封印していたタヌキが復活したのですか?」

仙人「タヌキを封じ込めていたのは大分の宇佐神宮が祭る八幡大菩薩であった。ところが、世々代々この宇佐神宮を守ってきた宮司の家系の女性が神社本庁から解雇され追い出されてしまったのじゃ。天皇陛下はこの事態に憂慮のお言葉を発表されたが、神社本庁は耳を貸さず宇佐神宮はよそから来た人間に乗っ取られたままじゃ。」

Q「再びタヌキを封印するにはどうしたらよいのですか?」

仙人「タヌキを封じるには宇佐神宮八幡大菩薩の力を借りなくてはいかん。だが正当な家系の者が祭らなければ、神仏は加護してくださらないのじゃ。しかし日本会議のやつらに乗っ取られた神社本庁が邪魔しておるから解決は難しかろう。」


野崎晃市(42)

近代中国のロマン派詩人(8):徐志摩(じょしま)と凌叔華(りょうしゅくか)

凌叔華
若いころの凌叔華


徐志摩と女流作家の凌叔華が出会ったのは、1924年にタゴールが中国を訪問した時の事であった。23歳の凌叔華は当時燕京大学の学生であったが、裕福な家庭の出身で宮廷画家を多く輩出した邸宅ではしばしば画家が集まって画会が開かれていた。

その画会へタゴールの知り合いの画家と通訳の徐志摩が訪れ、徐志摩と凌叔華の交友が始まった。その後に徐志摩がしばしば詩を発表していた雑誌『新月』に凌叔華が小説を寄稿するようになり、凌叔華の処女作の『花の寺』には徐志摩が序文を寄せている。

しかし徐志摩の傍には既に林徽因と陸小曼がいたので、徐志摩と凌叔華の関係は恋愛関係というよりは作家を目指す少女を指導する先輩といった所であったらしい。後に凌叔華は北京大学教授の陳源と結婚したが、陳源もタゴールと共に凌叔華の家を訪れた一人であった。

徐志摩は1925年にヨーロッパへ出かける際に、林徽因との往復書簡や陸小曼の日記などが入った箱を凌叔華にあずけた。1931年に徐志摩が飛行機事故で亡くなると、林徽因は胡適を通じて凌叔華の手元にあった自分の手紙などの返還を要求して二人の間で所有権を巡り紛糾している。

戦後に凌叔華は夫と共にパリ・アメリカ・日本・イギリスなどを訪れて、各地の作家や画家と交友を深めた。凌叔華の小説は細かい心理描写にすぐれ、徐志摩からはニュージーランドの女流作家キャサリン・マンスフィールドにあやかって「中国のマンスフィールド」と呼ばれている。

以下に私訳したのは徐志摩の1926年に発表した詩「偶然」で、徐志摩と林徽因あるいは凌叔華との出会いを歌っているようだ。

「偶然」

僕は空の上の一片の雲で、
ときおり君の揺れる心を投射している。
君よ、怪しまないでくれ、
もちろん喜んだりもしないでくれ。
振り返った瞬間に影も形も無くなるんだ。
君と僕は漆黒の夜に海の上で出会った。
君には君の、僕には僕の方向があった。
君が覚えているのはかまわないが、
むしろ忘れてくれたほうがいいかもしれない。
ここで会ったときに互いに認めたあの輝きを。

野崎晃市(42)

青州天主教会

IMG_20161225_130253.jpg
青州天主教会


今日の青州天主教会はクリスマスで横断幕に旗をつけて、まるで小学校の運動会のような飾りつけとなっていた。昨日のイブと朝の日曜礼拝には信者がいつもより多く参拝して、教会の敷地内で熱いスープをふるまっていた。

天主教会はカトリック系の教会だが、中国はバチカンと国交がなく司教任命権などでも紛糾がありバチカンからは独立した自治教会との位置づけだ。最近になってようやく中国政府はバチカンとの間で国交回復や司教任命権などで協議を始めている。

青州天主教会は1875年に中国人神父の王保禄によって伝道が始まり、後にフランス人主教のベナンチオ・ギチャードが1933年に大教堂を建設した。

1940年代に教会には華東保育院が併設され修道女が教育に当たっていたが、共産党に接収されてからは曹慶紅の母親が保育院院長となった。文革中に破壊されたが、市や省の働きかけで1997年に現在の位置に再建された。

今日の青州の古城ではクリスマス・デートを楽しむ若い男女のカップルも多く散見され、世代によりクリスマスの過ごし方はかなり異なるように見受けられた。

野崎晃市(42)

空母遼寧VSオスプレイ

遼寧.jpg
中国海軍空母「遼寧」


中国がウクライナから購入して改造した空母「遼寧」が、J-15戦闘機を艦載して実弾演習を実施した。合計で13機の戦闘機を次々と甲板上から離陸させて、再び甲板に着陸させる訓練を行った。

艦載機のJ-15戦闘機は空中給油の訓練も準備しており、緊急事態時にも空中で給油して滞空時間を延長することができるという。また「遼寧」号自身も対空ミサイルや1130近迫砲などの自衛のための武器を備えており、艦載ガトリング砲などの実弾発射訓練も行われた。

日本が中国の空母建造に対抗して購入したのがオスプレイで、「いずも」「かが」などのヘリ空母にオスプレイを搭載する予定があるようだ。日本の報道では中国がオスプレイを脅威と見なして配備を嫌がっているとされているが、実際にはオスプレイは中国のJ-15戦闘機の格好の的になるだけであろう。

さらに、オスプレイは「未亡人製造機」と呼ばれるほど事故の多い機体だ。先日も沖縄でオスプレイが大破して墜落し、同日に他の一台も胴体着陸という事故を起こしたばかり。



オスプレイは米軍の訓練でも離着陸時に空母を損壊させる事故を起こしており、アメリカは実戦で役に立たないと知っていて日本に売ったのではないかと疑いたくなるほどだ。

ひょっとしてGE製の福島原発と同様で不良品であるばかりでなく、日本の自爆を誘発するための機体なのではないのカネ?

野崎晃市(42)

近代中国のロマン派詩人(7):徐志摩(じょしま)と陸小曼(りくしょうまん)

陸小曼
陸小曼と徐志摩


徐志摩が林徽因に失恋した後に、再び恋に落ちたのが人妻の陸小曼だ。陸小曼は恵まれた家庭に育ち、優れた容姿で社交界の花形であった。

陸小曼と徐志摩はダンスで密会を重ねるうちに互いの愛情を深めていったが、陸小曼の夫は軍人で仕事に忙しく二人の密会を黙認していたようだ。陸小曼は夫と離婚するために堕胎までして、1926年に徐志摩と駆け落ちするように結婚した。

徐志摩の師匠であった梁啓超は二人の結婚に反対で、「徐志摩は浮ついた性格で、結局学問が身に付かなかった。痛い目に合わなければ目が覚めないだろう」と書いている。

二人は結婚後に上海で生活したが、陸小曼はアヘンに染まりダンスや麻雀に耽る退廃的な生活を送った。徐志摩は豪勢な暮らしぶりの陸小曼を満足させるために、三つの大学での講義を掛け持ちし雑誌に原稿を寄せるなどして必死で働かなければならなかった。

1931年に徐志摩が飛行機事故で亡くなった後、陸小曼は画家としての才能を開花させ個展を開いたりした。陸小曼は文学面でも作品を残しており、徐志摩と共に劇の脚本を書いたりタゴールの短編小説の翻訳を出版している。

下に私訳したのは徐志摩の詩「春的投生」で、陸小曼のために書いたと言われている。

「春の再生」

昨日の夜も、その前の夜もそうだった。
春の雨が狂ったように降る中で、
春が冬の死体に生命を吹き込む。
足下が軟らかくなり、
耳のあたりが暖かくなったような気がしないか?
木の枝にも青い線が浮いてきた。
水のよどみは無限にぐるぐると回っている。
僕と君の体も
胸の間が異様に高鳴る。
桃の花はすでに君の顔に咲いている。
僕がさらに鋭敏に感じ取るのは
君の媚態、飲み込む音
君の真珠のような笑顔だ。
君は僕の腕が
切実に君の腰を欲していることがわかるかい?
僕の呼吸が君の身に投射され
幾千もの蛍が炎に飛び込むみたいだ。
その他はとても言い尽くせない。
ああ雀や鳥の熱情が響きわたる。
皆が手に手を携えて賛美している
春の再生を。


野崎晃市(42)

中国近代のロマン派詩人(6):林徽因(りんきいん)と冰心(ひょうしん)

冰心
冰心(前)と林徽因(後)


林徽因と女流作家の冰心は共に福州の出身で、親友また女流作家としてはライバルでもあった。林徽因と冰心の出会いはアメリカ留学中の1925年で、冰心の夫となる呉文藻が留学していたコーネル大学に梁思成と林徽因が訪問したのがきっかけだった。

冰心の夫である呉文藻は社会学者で後に雲南大学の教授となるが、梁思成とは精華大学時代の同級生で以前より交際があった。冰心は林徽因との出会いを「彼女は私が知る女流作家の中でも最も秀麗な一人で、彼女の発表した文書もその人となりをよく表していた」と回想している。

林徽因は外向的で人と常に交際したため、彼女の家はしばしば知識人の集まるサロンとなっていた。冰心はそのサロンに集まる人々の様子を「私たちの夫人の客室」と題する短編小説に描き、その小説の中で虚栄と虚偽に満ちた人たちと批判した。この小説が原因となり、後の林徽因と冰心の関係は冷え切ってしまった。

冰心も多く詩を発表しているが、彼女の詩は短いものが多く比較的に理解しやすい。下に私訳したのは冰心の代表的な詩である「春水」と「繁星」である。

「繁星」
星々がきらめいている――
紺碧の大空で
星の言葉は聞こえないが
沈黙の中で
かすかな光の中で
互いを心から称賛しあっている

「春水」
また一年が経ったわね
ほらまたかすかに波打ってる
写真を一緒に撮りましょうよ。
「我が友よ
私は一枚も写真を撮ったことがない
あなたとだけではなく誰とも」

野崎晃市(42)

近代中国のロマン派詩人(5):林徽因(りんきいん)と金岳霖(きんがくりん)

金岳霖
林徽因と金岳霖


金岳霖は1914年にペンシルバニア大学へ留学し、その後にコロンビア大学で哲学博士号を取得した。1921年よりロンドン大学で経済学を学び、その頃に若き林徽因と出会っている。1925年より精華大学の哲学教授となり、バートランド・ラッセルの数式やロジックを多用する哲学を中国に紹介した。

金岳霖は梁思成と林徽因のサロンを訪れる常連客で、わざわざ家も近くに住んでいたほどだった。梁思成と林徽因が喧嘩すると、仲裁に割って入るのはたいてい金岳霖だった。

1932年に梁思成が出張から帰ってくると、妻の林徽因は梁思成に泣きながら「私は同時に二人の人を愛してしまったの、苦しくて死にそうだわ」と訴えた。梁思成は一晩寝ずに考えて「君は自由だ。金岳霖と一緒になるのなら、僕は君たちを祝福するよ」と林徽因に答えた。林徽因がそれを金岳霖に伝えると「梁思成は本当に君を愛しているよ。僕は彼を傷つけることはできない。僕が去るべきだ」と金岳霖は答えて身を引いた。

金岳霖は一生結婚しなかったが、それは林徽因への愛情を貫いたからだというのが伝説となっている。ただ実際にはアメリカ人女性と同棲していた時期もあり、晩年には中国人の女性記者と結婚寸前まで話が進んだこともある。そこからすると林徽因への純愛を貫いたわけではなく、ラッセルの提唱した自由な結婚形態を実践していたのかもしれない。

下に私訳したのは、その金岳霖がよく口にしていたという林徽因の「八月的憂愁」である。

「八月の悲しみ」

黄色の池の中で白い鴨が泳いでいる。
コーリャンの茎が青く伸びて頭を越したばかり。
このどぎまぎする心をどこに置けばいいの。
畑の中の狭い一本道、これは八月の悲しみ?
昨夜の空は雨で洗い流され、
丘の上を照らす太陽が影を残している。
羊が羊飼いと一緒に村に入っていく。
大きな木陰が覆う井戸は、まるで心のようね。
だれも八月の事なんて話題にもしない。
夏は過ぎたけど、秋はまだ来ないから。
だけど私は畑のあぜ道と、土壁の上の瓜を眺めるの
私には生活と夢がどう繋がるのかまだ分からない。

野崎晃市(42)

中国近代のロマン派詩人(4):林徽因(りんきいん)とフェアバンク

フェアバンク
フェアバンク夫妻と林徽因・梁思成


林徽因と梁思成の夫婦は、当時中国に研究に来ていたハーバード大教授のフェアバンク夫妻と親しくした。後にフェアバンク夫人は梁思成の建築史の英訳と出版に関わり、林徽因の伝記をアメリカで出版してもいる。梁思成とフェアバンクは共にハーバード大学で学んだ縁もあり、フェアバンク夫妻の中国名の費正清と費慰梅は梁思成が付けた名前だった。

林徽因とフェアバンク夫人は共に建築や美術に造詣が深く、フェアバンク夫妻はしばしば林徽因の家を訪れてお茶を飲んだ。彼等が最初に出会ったのは1932年の北京の美術クラブで、両夫婦ともに美術鑑賞に話が弾みすぐに打ち解けた。

当時の林徽因は結核の症状で体が痩せ細っていたが、フェアバンク夫人はたびたび彼女を郊外へと連れ出して日光を浴びるように勧めた。1934年には両夫婦は共に山西省の別荘に避暑に出かけ、周囲の古い建築を調査して回っている。

フェアバンク夫婦は1936年にアメリカに帰国したが、彼女たちの間で手紙のやり取りはずっと続いた。2002年にフェアバンク夫人が亡くなった時に、彼女が最後まで大事にしていたのが林徽因の詩と彼女の写真だった。

下に私訳したのは林徽因の1931年の詩「那一晚」で、初恋の人であった徐志摩との別れを歌ったものと言われている。

「あの日の夜に」
あの日の夜に私は船を心の河に押し出したの。
紺碧の天上には星がびっしりときらめいていたわ。
あの日の夜にあなたは私の手を握り、
茫漠とした星の夜が悲しみの鎖を閉じた。
あの日の夜に私たちはそれぞれに行く方向を決めた。
二人はそれぞれ自分の生活を選んだわ。
今でも私の船はまだ海面に浮かんだまま、
細く弱い棹で風の中で揺れている。
今でも太陽は私の背の後ろでさまようだけ、
幾層もの影が私の周囲を取り囲んでいる。
今でも私はあの日の夜を覚えている。
星の光、涙、白く広がる川辺!
今でも私は岸辺で種を撒くあなたが恋しい。
赤い花、黄色い花、色んな花々が揺れていた。
あの日の夜に私は屋上まで駆け上がり、
あの記憶を滴る蜜のように醸したかった。
あの日の夜に私は羽のついた矢を携え、
あなたが花園で弓を張るのを待っていたの。
あの日の夜に私は鳥のような歌を聞きたかった。
それは私が待ちわびていたあなたからの称賛。
あの日の夜にあなたは乱れる花を見ようとした。
それは私があの年に迷い込んだ辺境の地。

野崎晃市(42)

近代中国のロマン派詩人(3):林徽因(りんきいん)と梁思成(りょうしせい)

梁思成
林徽因と梁思成


林徽因と梁啓超の息子の梁思成が婚約したのは、林徽因の父親の林長民が日本留学中に日本に亡命していた梁啓超と深く交友を結んだからであった。梁思成は梁啓超の日本亡命時代の1901年に東京で生まれ、辛亥革命後に中国に帰国する10歳まで日本で育った。林長民はちょうどこの時期に早稲田大学に学び、帰国後に段祺瑞内閣で司法長官にまでなっている。

親が決めた婚約者とはいえ、二人の間には建築という共通の趣味があり愛情もあったように見える。1924年に林徽因と梁思成は共にペンシルバニア大学に留学し建築学を学んでいる。1928年には林徽因と梁思成は正式に結婚し、夫婦で中国の東北大学の教授として帰国する。梁啓超は二人の新婚を祝い、アメリカからヨーロッパの建築を見て中国に戻るよう資金を援助している。

二人は主に中国の古い建築様式に興味を持ち、中国各地の古代建築を調査した。梁思成は唐の時代の木造建築を研究するうちに、中国では失われた建築方法が日本の京都や奈良の寺社仏閣に見られることに気がついた。特に彼が注目したのは釘を使わずに梁を組み合わせるほぞ構造で、京都の寺社仏閣のスケッチをたくさん残している。

1944年に中国戦区文物保護委員会副主任だった梁思成は、連合国軍から空爆から守るべき日本の文化財の地図の作成を依頼され、京都や奈良には貴重な寺社仏閣が多いので空爆しないように第14航空隊の将校に建言している。

2010年に梁思成が京都と奈良を空爆から救ったとして奈良県に銅像を建立する話が出たが、日本の右翼や一部の学者が京都と奈良を空爆から救った証拠がないと抗議し銅像建立が宙に浮いたままになっているのは残念だ。梁思成は日本では有名ではないが、日本で生まれ育ち日本の古建築を愛していたことは間違いない事実だ。

以下に私訳したのは1934年に林徽因が梁思成との間に生まれた子供に向けて作った詩「你是人间的四月天」である。一説には亡くなった徐志摩への詩とも言われるが、詩の内容から見て自分の子供への詩とする方が適切だと思う。

「あなたは四月の空のような人」

あなたは四月の空のような人。
笑い声が四方の風を明るくするわ。
春の光の中で軽く舞いながら変わるのね。
あなたは四月の朝早くの雲のような人。
黄昏には柔らかい風が吹き
星たちが知らぬ間にまたたき
花には小雨が降り注ぐわ。
こんなにも軽く、こんなにも可愛い。あなたは
鮮やかな花々の冠を戴いているのね。
あなたは無邪気かと思えば厳粛になる。
あなたは夜の丸いお月さま。
あなたは雪が解けた後のうすい黄色のよう。
あなたは新緑が芽をふいたばかりのように、
柔らかくて嬉しくなるわ。
水の光にあなたが夢見ている白蓮が浮かんでいる。
あなたは木々に咲く花よ。
あなたは梁の間で鳴く燕よ。
あなたは愛、暖かさ、そして希望。
あなたは四月の空のような人。

野崎晃市(42)

近代中国のロマン派詩人(2):徐志摩(じょしま)

徐志摩
タゴールを案内する林徽因と徐志摩

1920年にロンドンのケンブリッジ大学に留学していた徐志摩は、国際連盟の仕事でイギリスに滞在していた林長民の家を訪れた。林長民の家でお茶を運んできたのが娘の林徽因で、若い二人はすぐに恋に落ちた。

しかし徐志摩にはすでに親が決めた結婚相手の張幼儀がおり、二人の間には子供もいた。徐志摩は何度もロマンチックな詩を林徽因に捧げたが、林徽因から帰ってきたのは別れを告げる詩だった。「私は帆を降ろして、大海の誘惑を拒絶するわ。あの打ちつける大波から逃げたいの。」

翌年に林徽因は父親と共に中国へ帰っていった。1922年に妻の張幼儀と離婚した徐志摩は林徽因を追って中国へ戻った。しかし時は既に遅く、林徽因はすでに梁啓超の息子の梁思成と婚約していたのであった。

徐志摩と林徽因の二人はその後も友人として交際を続けた。1924年にノーベル賞受賞のインドの詩人タゴールが中国を訪問した際に、タゴールの通訳と接待をしたのは徐志摩と林徽因の二人だった。

二人の別れは突然に悲惨な形でやってきた。徐志摩は1931年に林徽因の大学での講義を聞くため、南京から北京へ飛行機で向かう途中に墜落事故で亡くなった。詩人は最後まで林徽因への愛情に殉じたのであった。下は徐志摩の有名な詩「再別康橋」の私訳である。


「再びさらばケンブリッジよ」

私はこっそりと去っていく
こっそりと来た時のように
軽く手を振って
西の空に浮かぶ雲にさようなら。
----
あの川岸の黄金色の柳は
夕日の中の花嫁だね。
光の波に映った影が
私の心の中で揺れ動いている。
----
軟らかい泥の上の青草が
滑らかに水底でゆらめく。
ケンブリッジ川の柔らかな波の中で
私はこの一本の水草になりたい。
----
あの楡の下の水の淀みは
清らかな泉ではなく、天上の虹だ。
浮草の間で揉み砕かれた
水に沈んだ虹のような夢だ。
----
夢を探す?長い棹を持って
青草がさらに青い所へゆっくり遡る。
船に一杯の星の輝きを載せて
星の輝きがきらめく中で歌おう。
----
でも私は歌えない
静けさが別れの音楽だからだ。
夏の虫も私のために沈黙する
沈黙が今晩のケンブリッジだ。
----
私はこっそりと去っていく
こっそりと来た時のように。
私は袖を軽く振った
一片の雲も携えはしない。

野崎晃市(42)

近代中国のロマン派詩人(1):林徽因(りんきいん)

林徽因
中国のロマン派女流詩人:林徽因


林徽因は近代中国のロマン派の女流詩人また建築家としても有名で、天安門広場前に立つ人民英雄記念碑の設計などで知られる。梁啓超の息子で建築史学者の梁思成と結婚し、夫婦ともに精華大学などで建築学や建築史の教授を務めた。

林徽因は若い頃に海外で働く父親と共にイギリスやアメリカで暮らし、16歳の頃にはケンブリッジに留学していた詩人の徐志摩と恋愛関係となった。またロンドン大学留学中に林徽因に片思いした精華大学哲学教授の金岳霖は、林徽因への愛情から一生独身を貫いた。

こうした林徽因を巡るイギリスを舞台にした三角関係は、中国の近代ロマン派の詩のエピソードとして有名でテレビ・ドラマにもなっている。林徽因と徐志摩は西洋の影響を受けたロマンチックな詩の先駆けとして、中国文学史ではかなり重要な地位を占めているが残念ながら日本ではほとんど知られていない。

いつか中国近代ロマン派の詩人たちの恋愛エピソードと詩を出版したいと思って数年前に購入した詩集が出てきたので、林徽因の詩「你来了」を以下に一つ私訳してみた。

「あなたが来たら」

あなたが来たら
絵の中の山辺に立つ小屋に
風に乗せて交響曲が流れてくるわ
草々が空まで伸びていくの
日光がどこに向かって照るかなんて、誰も気にしない
あなたも私も
絵の中の人物みたいね
振り返るともういないの

あなたが来たら
花が深紅に咲き誇り
池を覆う浮草が朝の夢を織りなすの
鳥たちが歌い
木々の枝が絡みあうわ
でも白い雲が、私たちを
ゆっくり空を何重にも巡らせるの

野崎晃市(42)

中国の銀貨を鑑定

中国銀貨
中国銀貨が嵌め込まれた茶托


今日は知人に頼まれた中国の骨とう品の真贋を鑑定してもらった。私が鑑定を委託されたのは中国の銀貨が嵌め込まれた茶托で、日中戦争期に中国へ出征した軍人が持ち帰ったものだ。茶托の中央に中華民国期の銀貨が嵌め込んであり、周囲には龍の彫刻が施してある。

茶托の裏には“Waikee 90 Silver”と刻印が押されているので、全体の材料が銀で作られているようだ。ネットで調べてみるとWaikeeというのは香港の銀製品を扱う店で、漢字では「恵記珠宝」と表示される歴史ある銀製品専門店のことらしい。

青州市のルオさんの紹介で出向いたのは、銀行を退職した職員たちが集まる事務所だ。鑑定するのは青州市の中国銀行で古い貨幣の買い取りに従事した経験があり、自分自身も古い貨幣を収集しているコレクターの方だった。

中国では銀行が中華民国時期の銀貨を1970~80年代に20元で買い取り、当時の人々は貧しかったのでほとんどの銀貨が銀行に集められて鋳つぶされたという。そのため中国国内よりも、日本を始めとする海外のほうが貴重な銀貨や紙幣が残っているのだ。

さっそく鑑定してもらうと、私が持ち込んだ三枚の銀貨は全て本物であるとの鑑定結果が出て安心した。鑑定士の人もしばらく茶托に見入っていたが、珍しい銀貨で茶托の彫刻も精巧なので大事に保存するようにと勧めてくれた。

野崎晃市(42)

始皇帝の中国統一とEUの崩壊

EU本部とバベルの塔
バベルの塔とEU本部


今年はイギリスのEUからの離脱を受けてイタリア・フランス・オランダなどでも離脱派が勢いを増し、金融危機も重なってEUが崩壊の危機に立たされている。ロシアの政治学者ヴィターリイ・トレチャコフ氏はソ連が70年で崩壊したように、EUも70年目の2022年には崩壊するだろうと予測している。

これと対照的に日本の学者が数十年も前から中国分裂とか中国崩壊を叫び続けているが、中国がいっこうに分裂しないのは一体どういうことだろうか。中国とEUやソ連がどう違うのか考えると、その答えは2000年以上前の秦の始皇帝の中国統一事業にまでさかのぼる。

春秋戦国時代に分裂して争っていた中国を、強大な武力で統一したのが秦の始皇帝であった。その統一事業はEU統合やソ連邦と似ている部分もあるが、EUのそれよりもはるかに徹底していたため現在でも中国は統一国家として存在することができている。

始皇帝が統一したのは貨幣・度量衡・文字・車輪の幅などであったが、その中で注目したいのは漢字の統一である。特に中国では話し言葉は各地の方言そのままに残されたが、知識人の書き言葉としての漢字を統一することで漢字文化圏として統一性を形成した。

一方でヨーロッパではラテン語が聖なる言語として教会などで統一的に用いられたが、教会の権力がラテン語と共に衰退した後に有力な統一言語が現れなかった。そのためEUではそれぞれの国の言語が使用され翻訳や通訳の作業が極めて多く、EU本部の建物がバベルの塔になってしまっている。

始皇帝が2000年以上前に既にEUと同じような国家統合を成功させて、万里の長城や兵馬俑と共にその成果が今でも目に見えるということを考えると改めて驚嘆させられる。

野崎晃市(42)

プーチンにおねだりする秋田犬

プーチンと秋田犬
プーチンと秋田犬の「ゆめ」ちゃん


犬「北方領土を返して欲しいワン!」

プーチン「島を返して欲しくば40兆円用意するんだな」

犬「財務省も全国銀行協会も40兆円も出してくれないワン!」

プーチン「よろしい。ならば島にミサイル配備だ」

犬「犬をもう一匹あげるワン!これで勘弁してほしいワン!」

プーチン「犬は一匹で十分だ! ふざけてんのか!!」

犬「せめて日本人のビザ無し渡航を認めてほしいワン!漁業権ちょうだいワン!」

プーチン「お前の主人は私か米国人か、はっきりしてもらおうか。話はそれからだ。」

犬「日本で一緒に温泉に入って話すワン!裸の付き合いワン!」

プーチン「お前はいつも裸だろう。命が欲しければ、俺の背後には立つなよ」

犬「やっぱりプーチン、おそロシヤ・・・ワン!ワン!」

野崎晃市(42)

中国の原発もお漏らし

広東原発
広東大亜湾原子力発電所


香港の近くの広東大亜湾原子力発電所で放射能漏れの事故が起こった模様である。一部の海外メディアが報じているが、中国当局は事故を認めておらず情報統制が敷かれている。

広東大亜湾原子力発電所はこれまでも放射能漏れ事故を起こし隠蔽されてきた過去があり、香港や深センの住民から不安視されている。中国では過去にも原発のみならず原子力潜水艦などでも放射能漏れ事故が発生しているが、政府により関係者に口止め料が支払われているという。

私も中国で開かれた東北アジア比較法学会で日中の原子力関連の法律と政策を比較した論文を発表したことがあるが、原子力事故に関しては中国も日本と同じく秘密保持と情報統制が徹底されており超法規的存在になっているのが現実だ。

中国では李克強首相が原発建設を政策的に強く支持しており、そこへ民主党政権時代に日本の原発を売り込もうとしていたのが小沢一郎だった。前任の温家宝から李克強に首相が代わった途端にPM2.5などの環境指数が悪化したのは、彼が鳩山由紀夫や小沢一郎とも繋がる友愛人脈の人間だからだろう。彼らは国や国民よりも、友愛組織の指令や利権を優先するからだ。

中国では建設中あるいは建設予定の原発が30基以上もあり、将来的に中国での核汚染の危険は日本と同程度に高まる恐れがある。長春の近くでもミネラル・ウォーターの水源として有名な白頭山の山麓に建設中の原発があり、貴重な飲料水源が汚染されることを思うと残念でならない。

野崎晃市(42)

覚せい剤と原発

川内原発
鹿児島川内原発


鹿児島県の川内原発が発電を再開したというニュースと共に、川内原発で作業をしていた二人の男が覚せい剤の容疑で逮捕されたというニュースが流れている。二人は原発の定期点検の際に、足場を組むため下請けから派遣された臨時工であったという。

このニュースは原発という安全管理が重要な現場において、極めて杜撰な人材管理がなされていることを物語っている。原発で危険な作業をする臨時雇いの作業員の中には、暴力団関係の下請けによって身分の不確かな人たちが集められることがあるという。

これは外国から派遣された破壊工作員やテロリストが作業員に扮して入り込もうとすれば、いとも簡単に原発に近づけるということを意味する。『東京ブラックアウト』と題する本には、原発が破壊工作員の手により再びメルトダウンし日本全体が汚染するというシナリオが描かれている。

トカラ列島で続く微震や鬼界カルデラも気になるが、原発を破壊するのは地震と津波とは限らない。覚せい剤と原発も十分過ぎるほどに危険な組み合わせだ。

野崎晃市(42)

文殊菩薩カウンター
おひかえなすって 手前 生国は野州 栃木でござんす

薩摩の黒豹=飯山一郎

Twitterボタン
16SHARP
飯山本シャープ飯山店
白蛇様に願かける
『文殊菩薩』の記事一覧
大気拡散予測 (毎日必見!)
空間線量率(県別)  便覧   狸
生き方考え方を大変革!
食べない生き方
放知技』↓をココで読む。
検索フォーム
高いモノは買わない!

飯山一郎ブランド

『霧島の秘水』
飯山一郎ブランド

『ミラクル大豆』(豆乳)
最新記事
miniPortal
リンク
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
 ▲TOP