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■ 摂食障害の奥にあるもの  「日記」 マドモアゼル・愛 H.24/08/28

愛の日記

 摂食障害の奥にあるもの


「日記」 マドモアゼル・愛 2012年08月28日(TUE)


前回の日記の反響が大きかったので、摂食障害について考えてみたいです。

摂食障害にはいろいろな側面があり、その原因も過程も将来への影響も多岐にわたります。

ある程度の年齢になったら自然に収まる場合もあるし、それこそ命の危険にまで及ぶことがある。

こうした摂食障害について、一度のブログで語ることなどできないのは当然ですが、まだあまり指摘されていないある視点があると思うので、その点を語りたいと思います。


前回の日記で触れたように、人の食意識には二通りがある。ひとつは弱肉強食の食べ方。要するに動物がほかの命を奪い、それを食すわけで、人類も長いことこうした獣としての長らえかたがあったと思います。

もうひとつは、人間だけの特徴とも言える、食物をいただくという考え方。いただきます、、、といいますが、まさに人間は命をいただいて、その感謝のうちに自分の命をつなぐという思いがあります。

このとらえ方の根底には、神によって、自然によっていかされている、、、という人間だけが意識できる、人間の食意識と言えると思います。

他の命を奪い取る、、、殺して食べる、、、という獣としての食意識が一方にあり、もう一方に、命を与えられる、、、という食意識があるわけです。

動物と人間を分けるポイントはいくつかありますが、第一が言語をあやつる点、直立歩行、物事を高度に意識化でできる点などが特徴的です。

とくに最後の物事を高度に意識化できるのは、人間特有のものですから、食意識もそこにかかわります。

獣として食するか、、、人間になって食するか、、、の選択が実はあるのです。命の移譲は食によりますので、その意識が獣である場合は、人も限りなく獣に近づいていきます。

逆に食意識が神や自然から与えられた感謝のうちにある場合は、人は食を通して人間になっていくと言ってもいいと思います。

そこで過食や拒食の病理ですが、大きく食意識にかかわると思われるのです。私たちは人間に生まれてきてそうした環境と教育をうけますが、もっとも基本となる食に対する教育が十分でないと、人は人間にはなりきれない、、、人間意識になりきれないものが育つと思います。

しかし、誰でも人間として生まれた以上は、人間意識から離れることに自己嫌悪を抱きます。過食と拒食の間で揺れ動く心理も、自己嫌悪がベースにあります。

拒食、過食どちらの場合も、自分を嫌っている心理が共通しています。

太る自分を許せない、、、食べたい自分を許せない、、、しかし悲しいことは、摂食障害の最後は、死か、もしくは摂食の失敗の運命をもたらします。

本能と抑制という理性の争いの結末として、本能と理性が争えば、大体は本能が勝利します。なので、摂食障害の苦しみも努力も、最期は自分が恐れていた結果になっていくケースが圧倒的です。

ダイエットしていた人は大体は太ります。それは本能が勝つためです。

では、本能に負けない争い方はあるのか、ということですが、一つだけあるのです。

それは意識です。意識されている場合は、本能の欲求に振り回さることはなくなります。

人間にとってもっとも大きな本能欲求は食です。

ここにあらゆる哲学があり、生理があり、人間たらしめる鍵があると思います。

人間になって生まれてきた以上、私たちは人間にどうしてもなりたいと思うのです。

その鍵が食意識にあるというのが、わたしの視点です。

人間としての食意識を持ち、それに沿って生きたとき、私たちははじめて本当の人間に育っていくと思います。

命は継続ですから、食さなければ命の継続はできず、人間としてのありようの原点に食意識があることは、考えれば、わかることだと思います。

人のことを器といいますが、食事をいただく食器も器です。器とは、ある食物を一定の量にして盛る物であり、食べる量を限定する役割を持っています。

器があるので、いただく、、、という発想につながります。神から、自然からいただく、、、という際に、器は不可欠なものとなります。

反対にむさぼる食意識は、動物を殺して食すのですから、際限なく腹いっぱい食す、、、となり、そこには感謝や秩序は見られない、獣の世界となります。

摂食障害は、拒食と過食を繰り返しやすいところから、実は、食意識に対する拒絶感、どうしても自分を獣とは思いたくない、、、獣意識を受け入れられない心理に根差した部分があると思うのです。

そして獣意識を遠ざけるために拒食しますが、そうなると本能は生きる方向へ働きかけるため、本能が勝ち、過食となります。過食は獣意識の食べ方ですから、再び自己嫌悪をなります。

こうした不毛と思える繰り返しの原因は、もう一つの食意識、、、すなわち、いただきますの食意識が十分に育っていないことが大きく関係しているのです。

そして前回の日記では、小さな器に小さく盛り付けることにより、人間としての食意識が育つようになることを述べました。

人間としての食意識を育てる重要性は、戦争をなくしたり、世の中の獣的なものがもたらすあらゆる不幸をなくす意味で大きなものがあります。

日本の食文化は箸を使います。また、小さな盛り付けの美しさを重視します。どんなにおなかがすいていても、本能の食欲にまかせてペロリと食べてしまったら、和食の存在の意味はなくなってしまいます。

食べざかりの若者に小さな器によそって、ゆっくり食べろというのは酷ではあるし、無理だとは思いますが、それは、生存競争に勝ち抜き、自分の地歩を固め、、、という若者時代だから許されることだと思います。

しかし、その中においても、小さく盛り、ゆっくり食べるという人間的な食べ方の中から、やはり人間的な食意識は育っていくと思います。

武士道や食事マナー、そして昔の人が食べ方を非常に重視したしつけ全般の中には、おそらく、獣と分ける食意識が根底にあったと思われます。

その点、ナイフとフォークというスタイルの食では、人間的な食意識へのスタンスに弱点がある気がいたします。

これからの時代は、和食に代表される日本人の大切にしてきた食べ方が、文化の基本にあり、文化の時代にふさわしい重要なこととして再評価されることを期待します。


追伸として、摂食障害にお悩みの方は、ぜひ、自分を責めることを止め、ただ、小さく盛り付け、ゆっくり食べる、、、獣意識だとゆっくり食べるのは難しくなりますが、小さな器に少し盛り付けると、ゆっくり食べることが可能となります。

何杯おかわりしてもいいので、小さな盛り付けをゆっくり食べていくことで、食意識を変え、人間としての自分への愛着が生じるまで続けることで、いつの間にか、摂食障害はなくなっていくことでしょう。

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