「檻の中にいるわけでもないのに、どうしてそんなに不自由なの?」 zeraniumのブログ H.25/05/14

「檻の中にいるわけでもないのに、どうしてそんなに不自由なの?」 堀江貴文
脳のなかは自由だ。
思考にまで手錠をかけられているわけではない。何かの自由が制限されていれば、それをパスするやり方を考えればいいし、経済力とか便利なツールを持っていれば、それを最大限活用すればいい。自称「自由」が、自由ということなのだから。ルールや不安に縛られずに、好きなビジネスに挑んだらいいんだよ!
「良くなった!」ってみんなが言い出せば、日本は実際に良くなっていく。
だからまず、個人がポジティブに生きることなんだ。
思考にまで手錠をかけられているわけではない。何かの自由が制限されていれば、それをパスするやり方を考えればいいし、経済力とか便利なツールを持っていれば、それを最大限活用すればいい。自称「自由」が、自由ということなのだから。ルールや不安に縛られずに、好きなビジネスに挑んだらいいんだよ!
「良くなった!」ってみんなが言い出せば、日本は実際に良くなっていく。
だからまず、個人がポジティブに生きることなんだ。
zeraniumのブログ 投稿者 zeranium 日付 2013年5月14日 (火)
私が収監されてからも一向に減ることなく、たくさんの悩みが送られてきている。
メルマガのQ&Aで、たくさんの悩み相談に答えてきた。相談者たちの全体的な傾向としては、イイ子ちゃんが世の中に多すぎて、必ず物事には正解があるとマジに思っている印象がある。実はそんなことはない。私の回答だって、正解の「確率」は高いけど、他の選択肢も正解になり得るのだ。
おそらく多くの人は、学生のころまでは親や教師が正解を教えてくれたのだろう。
そして「井の中」の学校から出て、社会に放り込まれると、実は親や教師は絶対の存在ではなくて、社会では大したことないってことに気づいてしまう。例外はあるだろうけど。
そこでパニックになって私だとか、外部の絶対的な誰かの意見を求めるわけだ。
だからといって、その意見の通りに動こうというわけでもないらしい。送られてきた悩みには、すでに自分のなかで「こうしたい」というのが決まっていて、後押しをして欲しいだけというケースも少なくなかった。こういうのは、「やればいいじゃん」と言ってあげれば良いので楽なのだが。
面倒なのは「何がやりたいのか分からん」というものだ。
こういうのは、社会全体が貧しかった時代や、食うのにも困った時代にはなかった悩みだ。それが経済的にみんな豊かになって、暇ばかりあるから余計なことをウジウジ考えてしまうのだと思う。暇なら暇らしく、本能に従って楽しく生きればいいと思う。その気になれば食欲や性欲、睡眠欲はいくらでも満たされて、新鮮な喜びを味わえるのに。みんな貧しい時代の倫理に縛られすぎだ。ダラダラ遊んでりゃ、そのうち何かに出会える。出会えないまま終わってしまうパターンもあるけど、それだって人生。どっちにしたって楽しんでほうが勝ちだ。
ブータンの本なんかを無駄に読んで「幸せとは・・・?」とか考えるのも、精神衛生上よくない。ブータンが世界一だっていう国民総幸福量は単なる尺度だし、国家制度が根本的に違うのだから、日本人の私たちの基準にはならないだろう。マスコミはブータンを、「あれこそ幸福の見本だ!」と煽ってくるが、無視しよう。毎日普通に暮らして、「幸せだなぁ」と思ったら素直に喜んでいい。辛い努力とかを経験しないと幸せになれない、なんてことはない。自分が思うことで、何でも幸せに変わるのだ。
たとえば私もムショに居ることは(2013年3月27日に仮釈放)、周りから見たら辛いと思われがちだが、そんななかにも幸せの種は埋まっている。毎月の献立とか集会のお菓子だとか、連ドラとか映画とか普段読めない本や漫画に出合えて、毎日充分に睡眠が取れて、工場で民芸品つくりの指導をしていたりと、コレが結構充実していたりする。みんなに収監を薦めたりはしないけど、自分が見つけた幸せを自分なりに楽しんでみる。それがリアルな幸福なんだよ。遠く離れたブータンになんか、あなたの幸せはないよ、と言いたい。
みんなの「金持ち」になりたい欲には、ちょっと驚かされる。
ほとんどの人は私を金持ちだと思っているようだが、私自身は未だに「金持ち」とは何なのかよくわからない。昔欲しかったものや食べたかったものを、我慢しないで手に入れられるようになったのは、20代前半だった。それが年収1000万を超えたころだった。たしかにその時点では「俺は貧しい」とは思わなくなった。だがやりたいことがまだまだあったし、、目が廻るほど忙しく働いていたから、あまり「金持ち」の実感に浸ったことはない。ライブドア社でメディアに出まくっていた当時も、その後もそうだった。
年収1000万を超えて、さらに伸びていこうと頑張っていたら、「金持ち」が目的ではなくなってくるものだ。興味の対象は、趣味とか人間的能力の世界。「金持ち」の友人の多くは、別荘とかヨット、ワインコレクションに走るのだが、私はロケットとか飛行機に走ってしまう。あと再生医療とかオンラインメディアを作ることとかだ。それはたしかに楽しいし、好きなことが出来るのは本当に幸せだ。金持ちの定義なんてどうでもいい。好きなことを好きなだけできるのが「お金持ち」の特権だとしたら、20代前半で叶えられて良かったなとは思う。
みんなはひとまず年収1000万円くらいを目指しているのではないだろうか?
Q&Aではそれくらい超簡単なんだと、丁寧に伝えてきたつもりだ。とはいえ一般市民が金持ちになるのは、いろんな意味で難しい。大儲けするのは悪だとか、日本の義務教育の洗脳が原因ではないかと思っている。金持ちになって悪いことは何もないんだけれど・・・。つくづく、洗脳を解くのは大変だなぁと思う今日この頃だ。
生活が苦しいと漏らす人でも、よくよく話を聞いてみると、実にくだらないことに悩んでいたりする。「気持ち次第で、全然幸せなんじゃないの?」という人は多いのだ。一番の問題は、「今の私は不幸!」「足りないものばかり!」と煽ってばかりいるマスコミだろう。原発問題なんてその顕著なものだ。市民が不安になるようなことしか報道できないなんてルールでもあるのか? こうしたネガティブキャンペーンは本当に気が滅入るし、国民の思考を停止させてしまう。
結論。
「良くなった!」ってみんなが言い出せば、日本は実際に良くなっていく。
だからまず、個人がポジティブに生きることなんだ。
「幸せとは・・・?」、なんてくだらないことをグチグチ考える必要はない。
視野を広げよう。そして物事を多面的に眺めよう。義務教育中の若者は特に、教室という世界こそが世界のすべてだと思ってしまいがちなので、自分の居場所を複数持つように普段から努力するといい。ツールとしては、スマホが1台あれば充分だ。
近頃、刑期を終えて出所してからの自分を、いろいろ想像している。
メルマガの読者には、社会的な役目を期待されているようだ。とりあえずは自分がやりたいことを素直にやってみたい。私に役目があったとしても、行動ありきでやらないと何も始まらない。こうしたい、こんな世の中にしたいというヴィジョンに、共感する人が自然に集まってくればそれでいいと思う。
当然アンチの人もいるだろう。
堀江バッシングに熱心な人たちは、私の懲役を終えた後でも多分いなくなることはない。でもそれはそれで結構だ。もうわけのわからない嫉妬や敵意を解消する努力をしようなんて、私は思わない。嫌いな人は好きなだけ嫌ってくれて結構。バカを相手にしている時間はないのだ。出所後は40歳を過ぎている。貴重な30代の終わりを、塀の中で浪費してしまったのだから・・・。これからは残り少ない人生を精一杯生きるために、受動的にではなく自発的に動いていくつもりだ。その結果に、私の役目がついてくるのなら本望だ。
出所したら、私は正真正銘自由の身になるわけだが、しかし刑期中の今でも、実は心の中では自由でいる。私に悩み相談をして来る人たちには、「あなたは檻の中にいるわけでもないのに、どうしてそんなに不自由なの?」、と問うてみたい。検察に陥れられようが、寒い刑務所に閉じ込められようが、心はいつだって自分のものなんだ。コントロール次第で、いくらでもフリーにできるはずだ。
脳のなかは自由だ。
思考にまで手錠をかけられているわけではない。何かの自由が制限されていれば、それをパスするやり方を考えればいいし、経済力とか便利なツールを持っていれば、それを最大限活用すればいい。自称「自由」が、自由ということなのだから。ルールや不安に縛られずに、好きなビジネスに挑んだらいいんだよ!
堀江貴文著 徳間書店 抜粋