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大坪・佐賀断罪のために「検察の正義」を丸裸にした控訴審判決  郷原信郎が斬る H.25/10/01

■郷原

 大坪・佐賀断罪のために「検察の正義」を丸裸にした控訴審判決


郷原信郎が斬る 2013年10月1日

9月25日、大坪弘道元大阪地検特捜部長の犯人隠避事件の控訴審判決が言い渡された。


主文は、「控訴棄却」だった。


大坪氏が特捜部長として指揮した郵便不正事件・村木氏事件での検察の捜査・公判を厳しく批判してきた私が、なぜ一審有罪判決に対して控訴した大坪氏の弁護人という立場での活動を行うに至ったのか。


それは、部下の特捜部主任検察官による証拠改ざんという問題に対する危機管理対応において、長年所属してきた「検察の論理」に従い、組織防衛のために行った大坪氏を、独占する公訴権の「刃」で斬り捨てた検察のやり方が、あまりに理不尽かつ不当なものだと考えたからだった。そのようなやり方は、検察の歴史に重大な禍根を残すだけではなく、検察不祥事の本質から目をそむけ、検察の抜本改革を妨げるものでしかないと考え、私は、大坪氏の弁護人として、検察の「不当な組織防衛」を追及する側に立った。



ところが、判決は、控訴趣意書・補充書での弁護人としての私の主張をことごとく退け、大坪・佐賀両氏を逮捕・起訴した検察の主張と一審判決を、丸ごと容認した。その結論だけを見ると、判決は、大坪・佐賀両氏の「組織防衛」のみを断罪し、検察組織の「組織防衛」を丸ごと許したかのように見える。


しかし、判決書を熟読すると、そのような結論を導き出すために判決が示した判断には、検察組織に対して重大な影響を生じさせる論理が含まれていることがわかる。


検察が行った両氏の逮捕・起訴、それを丸呑みした一審判決は、明らかに無理筋だった。それが無理筋であることを指摘する控訴趣意書の主張を排斥するために、控訴審判決が用いた論理は、検察組織、検察実務に対して、猛毒となるものだった。


この事件の特異性、公判の経過、争点などについては、【控訴審で「立ち往生」する検察~明日から元特捜部長控訴審公判】【大坪元特捜部長逮捕・起訴は、検察組織の重大な不祥事・歴史上の汚点】で詳しく述べた。


一審判決は、1月30日の電話で、佐賀氏が前田から故意改ざんの告白を受けたことを、2月1日午前に、大坪氏に報告し、大坪氏は前田の故意改ざんを確定的に認識していたと認定した。しかし、佐賀氏は、1月30日に前田と電話で話した事実自体を否認し、当然のことながら、その電話で前田から故意改ざんの告白を受け、それを大坪氏に報告したことも否定している。その点についての直接証拠は全くない。


一審判決が認定の根拠にした「推認」は、「佐賀は、『もし、前田から故意改ざんの告白を受けていたら部長の大坪に報告しているはずだ』と述べている。当裁判所は、佐賀が故意改ざんの告白を受けたと認定した。だから、佐賀は大坪に報告している」というものだった。しかし、そのような「推認」が刑事事件において凡そ通用しないものであることは少し考えればわかるだろう。そのような「推認」がまかり通るのであれば、自宅から拳銃が発見されて不法所持で取調べを受けている暴力団組員が「もし、拳銃を入手したら、必ず組長に報告しているはずです」と供述して、拳銃所持の認識を頑強に否認していたとしても、何らかの根拠で、「その組員が拳銃所持を認識していた」と認定できれば、組員の「供述」によって拳銃所持の組長への報告も認定でき、組長も共同所持で処罰できる、という話になってしまう。さすがにこんな乱暴な事実認定は刑事事件においてはあり得ない。


私は、控訴趣意書で、その点を徹底して主張し、それに加えて、仮に、1月30日に、佐賀氏が前田と電話で話した事実があり、その際、前田から故意改ざんの告白を受けたとしても、佐賀氏が、それを大坪氏に報告しなかった可能性を示す事情が多々あることも主張した。


しかし、控訴審判決は、このような弁護人側の主張を退け、一審判決と同様に、「もし前田から故意改ざんの告白を受けていたら、大坪部長に報告していたはず」との佐賀供述を根拠に、大坪氏の故意改ざんの確定的認識を認定した。しかし、さすがに、それだけでは、推認の根拠があまりに薄弱と考えたのか、「被告人の弁解の不合理性」を殊更に強調した。


大坪氏が佐賀氏から前田の告白について報告を受けていなかったとしても、「前田の過誤説明」を鵜呑みにして、検事正、次席検事に報告し、何らの裏付け調査も行わなかったことは「特捜部長の要職にある者」の対応として厳しく非難されるべきものだと述べた上で、そのような特捜部長にあるまじき対応を行ったと述べる大坪氏の供述自体が不自然・不合理で信用できないとしたのである。


判決は、次のように述べている。



故意または過失のいずれの場合であっても、前田個人にとどまらず検察庁全体に対する信頼を大きく傷付け、刑事司法の威信をも損なうおそれのある重大な不祥事になることは必定というべきである。したがって、いずれにしても、前田の直属の上司である被告人両名としては、前田による職務犯罪ないし事務過誤の詳細を早急に明らかにして、検察庁ないし刑事司法の自浄作用を迅速に機能させることにより、検察庁に対する信頼や刑事司法の威信をできるだけ保持するとともに、同事件に関する公正な公判審理を早期に進行させるためにも、その全容の解明が急務であった。



つまり、判決は、「仮に過失であったとしても、大坪氏・佐賀氏は、前田による職務犯罪ないし事務過誤の詳細を早急に明らかにすべきだった。FDデータ改変問題を把握していながら、その問題の全容を解明して村木事件公判に反映させることなく、有罪をめざした公判活動を継続しようとすること自体が許されない。」と述べているのである。


大坪氏が、前田の故意改ざんの告白について佐賀氏から報告を受けたか否か、故意改ざんについて確定的認識を持ったか否かに関わりなく、村木公判の最重要証拠についてデータが改変された事実があるのであれば、それを公表して、村木事件の有罪立証を断念し、白旗を上げろ、と言っているのである。


しかし、このような控訴審判決の論理を前提にすれば、断罪されるべきは大坪氏・佐賀氏だけではない。


大阪地検の小林検事正、玉井次席検事は、村木公判に関して、関係者供述と作成された文書のFDのプロパティ問題が矛盾するという、証拠上重大な問題があることの報告を受けていた。そのFDのプロパティ・データが、主任検察官の前田によって改変された疑いがあるとの報告を受けたが、被告人側に還付されたFDデータの再提出を求めるなどした調査を行うことも、問題を公表することもせず、村木事件での有罪をめざした立証を継続することを了承した(判決も、「大阪地検最高幹部」としての検事正・次席検事の対応の問題を指摘している)。


村木事件公判担当主任検察官の白井は、前田が佐賀氏に故意改ざんを告白した1月30日の電話を見聞したと証言し、検察の立証の大きな支えとなったが、その白井は、2月1日に、特捜部長の大坪氏に前田の改ざん問題についての公表を強く迫っていながら、その後、特捜部長から検事正・次席検事にどのような内容の報告が行われたのかを確かめもせず、捜査主任検察官による故意の証拠改ざんの事実を認識しつつ、村木公判で、村木氏を有罪にするための主張・立証を継続し、有罪論告まで行っている。


公判部長も、白井から前田の故意改ざんについて報告を受けていながら、村木事件の公判対応に関して何らの措置もとろうとしなかった。


さらに、過失によってデータが改変された可能性があることは、特捜部長の大坪氏から大阪高検榊原刑事部長にも報告されたが、刑事部長は、調査を行わないことを了承し、何らの措置もとらなかった。


その後、村木事件公判で、検察官調書の大部分が証拠請求を却下され、FDプロパティ問題が最高検の知るところとなり、調査が行われたが、この際、FDデータが主任検察官によって改変された可能性があることを、これら検事正、次席検事、公判部長、主任検察官、高検刑事部長など多くの人間が認識していたはずなのに、その点は全く問題にされることなく、検察は、村木氏に対して有罪論告を行っている。


検察は、「検察組織の論理」にしたがって部下の証拠改ざん問題への危機管理対応を行った大坪・佐賀両氏を、「組織防衛」のために斬り捨て、事件を検察の組織的問題から切り離すために、「故意改ざんの過失へのすり替え」を強調した。それによって、「過失によるデータ改変」に対して何らの対応をとらなかった検察組織を守ろうとした。


しかし、大坪氏の故意改ざんの確定的認識についての証拠があまりに希薄だったために、控訴審判決は、検察の論理だけでは大坪氏を有罪にできないと考え、「過失によるデータ改変」であっても、村木事件の最重要証拠について疑念が生じた以上、特捜部長としてそれを見逃すことは許されないという論理を展開した。「公判での重要証拠に関して何か問題があれば、ことごとく公判で明らかにせよ」という「裁判所の論理」に基づくものであろう。


その論理は、従来からの「検察組織の論理」にしたがって、「過失によるデータ改変」の事実があったとしても、改変前のFDデータの内容が捜査報告書に記載されて公判で明らかにされている以上、大きな問題ではなく、FDの再提出を求めず、村木事件公判での有罪立証を継続することに問題はない、と判断した検察組織の側にとっては、思いもよらないものだったはずだ。


この控訴審判決の論理が、検察にとって、いかに「猛毒」であるかは、陸山会事件捜査の過程での田代元検事による虚偽捜査報告書作成事件に対する検察の対応との比較を考えてみれば明らかであろう。


この事件については、市民団体が、田代検事等を虚偽有印公文書作成・同行使、偽証で告発するとともに、東京地検幹部等を、実際の取調べでのやり取りとは全く異なった内容の捜査報告書が作成され検察審査会に提出されていたことを把握したのに、捜査・調査を行わず、公表も行わなかったことについて犯人隠避で告発したが、最高検は、いずれも不起訴とした。


この事件に、大坪氏控訴審判決の論理を当てはめれば、こうなる。


検察審査会での小沢氏の議決に重大な影響を与えた田代捜査報告書の内容が虚偽であることが判明し、石川氏の供述経過について検察審査会の審査員に誤った認識を与えた疑いが生じた以上、田代検事が「記憶の混同」などと弁解していても、それを鵜呑みにすることなく、田代による職務犯罪ないし事務過誤の詳細を早急に明らかにして、検察庁ないし刑事司法の自浄作用を迅速に機能させることにより、検察庁に対する信頼や刑事司法の威信をできるだけ保持するとともに、同事件に関する公正な公判審理を早期に進行させるためにも、その全容の解明が急務であったということだ。


そして、検察は、虚偽捜査報告書の問題を公表しなかった理由を「秘書事件の公判を控え、小沢氏の起訴も間近に予想される段階で、証拠の内容を、その公判の前に明らかにすれば、裁判に予断を与えることになりかねず、指定弁護士等の今後の公判活動にも影響を与える可能性もあった」としているが、控訴審判決の論理からすると、「小沢事件や秘書事件の公判への影響を理由に、田代検事や当時の特捜幹部が行った重大な職務犯罪の疑いを放置することも許されない」ということになる。


「過失によるデータ改変であったとしても、そのまま放置すべきではなく徹底調査し、その結果を公判に反映すべきであった」という控訴審判決の論理は、これまで身内の不祥事に対して、できるだけ内部にとどめ、公判での立証を優先する対応をしてきた検察組織全体への厳しい批判でもあるのだ。


控訴審判決が検察官の職務行為に関する犯人隠避罪の成立に関して示した法解釈も、検察実務、特に、特捜部の捜査に重大な影響な影響をもたらすものである。


私は、控訴趣意書で、検察官は、刑事事件の起訴不起訴だけではなく、事件を認知立件して捜査すべきかどうかについても裁量権を有しているのだから、その職務行為について犯人隠避罪が成立するとすれば、一般的な検察官の職務行為から逸脱している場合に限られると解するべきだという主張をした。


それに対して、控訴審判決は、検察の実務からの「逸脱性」を全く問題にせず、「捜査機関である検察庁内において、検察庁の幹部が、部下である検察官による職務犯罪を覚知した場合において、犯人を隠避させたといえるためには、上級庁を含む検察組織全体として犯人逮捕に至るべき捜査に着手させない状況を作出することを要する」「上司や上級庁に対しては、証拠隠滅に関する嫌疑を抱かせないための工作を行うとともに、地検の内部及び部下の検察官らに対しては、当該嫌疑に関する情報を管理し、捜査に向けた動きを封じる工作を行うことが必要」と判示した。


このような考え方で、犯人隠避罪の成立が認められることになると、特捜部の実務は成り立たない。特捜部では、情報提供、告発などの様々な捜査の端緒の中から、捜査の対象事件を取捨選択し、その捜査結果に基づいて、さらに、捜査を継続するかどうか、強制捜査に着手するかどうかを、事件の性格や規模、他の事件の捜査との関係、捜査に動員できる人員などを考慮して判断する。犯罪の嫌疑について有力な証拠が得られている事件でも、特捜部としての政策的な判断によって、本格的な捜査着手、立件を見送ることもある。その場合には、捜査着手を見送ることを検事正、次席検事、上級庁等に報告し、了承を得るわけだが、その際に、有力な証拠が得られているとか、被疑者が自白していることなど、敢えて報告しないということも、従来の検察実務としては十分あり得る。そして、捜査着手が見送られることになれば、その事件について部下に厳しい箝口令を敷くことになる。


「上司や上級庁に対しては、証拠隠滅に関する嫌疑を抱かせないための工作」「地検の内部及び部下の検察官らに対しては、当該嫌疑に関する情報を管理し、捜査に向けた動きを封じる工作」の両方を行うことで犯人隠避罪が成立するという控訴審判決の法律解釈によれば、これまで特捜部で当然のように行われてきた事件の取捨選択と、それについての上司・上級庁への報告は、すべからく犯人隠避罪に当たることになる。


しかも、判決は、このような法律解釈の本件への当てはめについて、「本件改ざんの隠蔽に関する成算は、かならずしも十分なものであるまでの必要はなく、被告人両名としては、本件改ざんの隠蔽の動機や思いから、上司に対する報告の成り行きに賭けてみようとするだけの成算があれば足りる」と述べている。この考え方によれば、特捜部幹部が、事件の捜査着手見送りについて上司の了解を得るための報告をする際に、「上司から質問されたらありのままに報告せざるを得ないが、取りあえず犯罪の嫌疑に関する有力な証拠があることは報告しないでおこう」と考えて証拠の存在を秘匿した場合は、それだけで犯人隠避罪が成立することになる。


従来の刑事司法においては、刑事事件に関する情報、証拠の管理、取扱いは、基本的に検察の判断に委ねられており、検察が、起訴後に想定外の特別の事情が生じない限り、有罪判決を得ることを目的とした「公判維持最優先」で対応することで、100%近い有罪率が維持されてきた。それが、「検察の正義」中心の刑事司法の構図を支えてきた。


そして、その「検察の正義」の象徴となってきたのが、広範な裁量で捜査の対象を取捨選択し、一度ターゲットを定めると、捜査権限を最大限に活用して徹底的に追い詰める、特捜検察であった。


今回の控訴審判決で示された「裁判所の論理」は、そのような「検察の論理」を根底から揺さぶりかねない。まさに検察による、情報と証拠の独占によって支えられてきた「検察の正義」そのものを丸裸にするものである。


それは、「検察の論理」にしたがって対応した両氏を、検察が「組織防衛」のために斬り捨てたことが招いた、当然の結果といえる。


このような「裁判所の論理」が、控訴審で確定するのか、上告によって最高裁に持ち込まれることとなるのか、検察幹部は固唾を飲んで見守っていることであろう。

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