【サバイバル教科書】(状況認識編): 「おそらく我々は戦争をも上回る悲惨を体験することになるだろう」 響堂雪乃

おそらく我々は戦争をも上回る悲惨を体験することになるだろう。
【飯山一郎のコメント】:釜のなかで茹でられるカエルは最後の瞬間まで自分たちの死を予見できない!という寓話がある。
で、ある瞬間に阿鼻叫喚の断末魔!
今の日本は、この「茹でガエル」の寓話に似た状態だ。
ただし寓話と違う点がある。
茹でガエルは熱湯になるから地獄の苦痛がともなうが、我々が入れられている日本という釜は、無色無味無臭の晩発性の致死性物質が浮遊し溶解している釜だ。
ここでは、櫛の歯が一本づつ欠けるように、虫歯が一本づつ抜け落ちるように、朽木が徐々に腐るように腐ってゆく…。
阿鼻叫喚の地獄はない。みなが腐るように病んでいき、日々静かに死んでゆく…。
しかし時には苦痛のウメキ声が漏れ、各所で腐臭がただよう…。
これが30年以上も続く。
この生き地獄を響堂雪乃は…、
「おそらく我々は戦争をも上回る悲惨を体験することになるだろう」
と予言した。当たるだろう。
最善のリスク管理とは、何事も楽観視することなく最悪事態を想定して対処することだ。
響堂雪乃の予言と未来洞察を念頭に置き、覚悟を固め、サバイバルの知恵と技術を身につける時期だろう。
来るところまで来ているのだから…。
で、ある瞬間に阿鼻叫喚の断末魔!
今の日本は、この「茹でガエル」の寓話に似た状態だ。
ただし寓話と違う点がある。
茹でガエルは熱湯になるから地獄の苦痛がともなうが、我々が入れられている日本という釜は、無色無味無臭の晩発性の致死性物質が浮遊し溶解している釜だ。
ここでは、櫛の歯が一本づつ欠けるように、虫歯が一本づつ抜け落ちるように、朽木が徐々に腐るように腐ってゆく…。
阿鼻叫喚の地獄はない。みなが腐るように病んでいき、日々静かに死んでゆく…。
しかし時には苦痛のウメキ声が漏れ、各所で腐臭がただよう…。
これが30年以上も続く。
この生き地獄を響堂雪乃は…、
「おそらく我々は戦争をも上回る悲惨を体験することになるだろう」
と予言した。当たるだろう。
最善のリスク管理とは、何事も楽観視することなく最悪事態を想定して対処することだ。
響堂雪乃の予言と未来洞察を念頭に置き、覚悟を固め、サバイバルの知恵と技術を身につける時期だろう。
来るところまで来ているのだから…。
おそらく我々は戦争をも上回る悲惨を体験することになるだろう。
戦争がどれほどの人間を抹殺したところで、それは当事者世代だけに止まるのだけれど、「ゲノム不安定性」という核の悪夢は無限連鎖的に次世代遺伝子を破壊し続けるのであり、これまでニンゲンという種が経験したことのない世界を現出させるのだ。
汚染はすでに首都圏にまで及んでいる。行政府がウクライナの事故を凌ぐと公式に表明しているとおり、やがて災禍は放射線量と人口密度に比例して訪れるのだが、もはや我々は有責者を罰することも、補償を求めることも、社会資本の再配分を構想することも、それを議論することも、声を上げることすらできないのである。
日々ごとに心理的圧迫感が高まり、どう生きていくべきか途方に暮れたりするのだが、自分は今後人間的であることを止めようと考えている。
すでに生命は理性の領域ではなく本能の領域に拠るのであり、モラルよりも察知力が問われるのであり、「豚のように生き抜け」という言葉のとおり、今後あなた方も市民的規範や公式的倫理に縛られることなく、誰に後ろ指を指されようが、不恰好で惨めであろうが、友人や知人に関係を断たれようが、卑怯だと謗りを受けようが、軽蔑されツバを吐かれようが、あらゆる予定調和を裏切り、ひたすら自身と家族のことだけを考えて行けば良いのだと思う。
政治学者のS・ウォーリンは現在社会を「反転した全体主義」(inverted totalitarianism) と分析したのだが、それはつまり巨大資本が国家議会に従属するのではなく、国家議会が巨大資本に従属するという倒錯であり、政治の下部構造である暴力組織が政治の上部構造と化したナチス・ドイツの様相を意味するのである。
未だ民衆は政策が代表議員によって決定されると錯誤しているのだけれど、国会審議によって可決される「議員立法」は極僅かであり、80%以上が官僚機構によって策定される「内閣立法」であることは繰り返し論述したとおりだ。
さらに法案群は日本経団連政党評価表、日米経済調和対話、中韓や宗教法人ロビーによって調整されるのであり、民意が反映される余地はゼロに等しい。この図式はALEC(全米立法交流評議会=経済者と政界者が共謀して法律を策定する機構)によって州法の大半が整備される米国社会の相似と言えるだろう。
国家議会とは民主主義という虚構のドラマトゥルギー(演劇の仕掛け))に過ぎないのであり、国政議員とは「初心者歓迎。誰でもできる簡単なお仕事です」なのであり、世襲者やスポーツ選手やタレント上がりなどスター・システム(メディア装置)の排出物が跋扈しているとおり、むしろ知性と人倫の欠落こそが要件なのであり、本質としてこの社会において「政治」という概念は成立しえないのである。
あらためて我々はヒエラルキーを直視すべきだろう。体系はすでに階層化された抑圧世界なのであり、Ruling Class(支配階級)として投資集団が睥睨し > Governing Class(統治階級)として多国籍企業が圧倒し > Noble Class(貴族階級)として官吏機構が屹立し > Upper Class(上流階級)として政治集団あるいは報道集団が君臨し > Middle – Lower Class(中・下流階級)として一般国民が従属し > Servile Class(奴隷階級)として非正規者が隷属している。
このシェーマ(俯瞰図)において国家議会は触媒に過ぎないのであり、暴力集団が国家中枢を担うという「反転した全体主義」そのままの構造であり、換言するならば「政治的暴力がおぞましい合理性とともに展開されるナチ的状況」なのだ。
彼らのエートス(根底精神)とはある種の「汎優性主義」であり、つまり「この私は他人より生存に値する」という信念であり、それこそが個人の生存を無制限に階層序列化するイデオロギーの本質である。
いよいよ特定秘密保護法案が審議入りするのだが、これにより原発関連の情報群も秘密化されるとおり、今後は汚染マップ、住民の被曝、健康被害、経済被害など情報の公開だけではなく、それへのアクセスや開示要求すらも罰則化されるのであり、デモや抗議活動の参加や呼びかけすらも、この様な分析すらも、煽動行為として処罰することが可能となるのだ。
さらに弾圧のモチベーションは外圧によって強化されているのであり、すでにTPP(自由貿易構想)の主要条項が秘密化されているとおり、外資の規制緩和や関税障壁の撤廃によって国民経済が被る天文学的損失についての報道や論述なども一緒くたに厳罰化しようというのだから、それはまさにM・フリードマンが提唱した「平時では不可能な改革を混乱に乗じ一挙に達成する」というショック・ドクトリンの定式そのものである。
対峙しているものは「残酷の組織化とエスカレーション」であり、「セキュリティの脅威」であり、いずれ抵抗は卵の状態で除去されるのだ。
何度でもくりかえすが、暗黒法の施行は社会資本の独占を狙う官吏機構と、自由貿易により経済植民地化の完成を目指すグローバル資本の共謀であり、つまるところ武装主義政治の究極的な進化なのである。
おそらく我々は戦争をも上回る悲惨を体験することになるだろう。
戦争がどれほどの人間を抹殺したところで、それは当事者世代だけに止まるのだけれど、「ゲノム不安定性」という核の悪夢は無限連鎖的に次世代遺伝子を破壊し続けるのであり、これまでニンゲンという種が経験したことのない世界を現出させるのだ。
汚染はすでに首都圏にまで及んでいる。行政府がウクライナの事故を凌ぐと公式に表明しているとおり、やがて災禍は放射線量と人口密度に比例して訪れるのだが、もはや我々は有責者を罰することも、補償を求めることも、社会資本の再配分を構想することも、それを議論することも、声を上げることすらできないのである。
日々ごとに心理的圧迫感が高まり、どう生きていくべきか途方に暮れたりするのだが、自分は今後人間的であることを止めようと考えている。
すでに生命は理性の領域ではなく本能の領域に拠るのであり、モラルよりも察知力が問われるのであり、「豚のように生き抜け」という言葉のとおり、今後あなた方も市民的規範や公式的倫理に縛られることなく、誰に後ろ指を指されようが、不恰好で惨めであろうが、友人や知人に関係を断たれようが、卑怯だと謗りを受けようが、軽蔑されツバを吐かれようが、あらゆる予定調和を裏切り、ひたすら自身と家族のことだけを考えて行けば良いのだと思う。