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「よろしかったでしょうか」など、オヤジ族がムズ痒さを感じる現代口語を嫌っているオッサン作家(橘 玲氏)の文章。

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寡聞にして「橘 玲(たちばな あきら)」という作家は、名前も知らなかったが…、文章が読みやすいことと、「オヤジ族が言いたいこと」みたいな内容で共感を感じたので紹介したい。
あ、あと、「よろしかったでしょうか」など、オヤジ族がムズ痒さを感じる現代口語を嫌っていることにも共感を感じましたので。 (飯山一郎)

若者言葉はなぜ体育会化するのか? 週刊プレイボーイ連載
投稿日: 2014年2月10日

「近頃の若い者は……」と説教するオヤジにはなりたくないのですが、それでも気になるのは「ありがとうございます」の多用です。近頃の若者は職場やバイト先で、上司からなにかいわれるたびに「ありがとうございます」とこたえているようです。

「そこはEXCELの集計機能を使えばいいよ」

「ありがとうございます」

「明日は早いから今日はこれで終わりにしましょう」

「ありがとうございます」

いずれも間違いとはいえませんが、もっとシンプルな返答があります。私たちの世代は(という言い方をしてしまいますが)、最初の例では「わかりました」、2番目の例では「そうですね」とこたえて、「ありがとうございます」とはいわなかったでしょう。
言葉は時代とともに変化しますが、「ありがとうございます」が若者のあいだでインフレ化するのは何を意味しているのでしょうか。

私がこの用法に違和感を持つのは、それが明らかに体育会言葉だからです。私が学生の頃も、運動部では顧問や先輩の叱責に、バカのひとつ覚えのように「ありがとうございます」と叫んでいました。「わかりました」や「そうですね」などといおうものなら、「タメ口きいてんじゃねえ」と鉄拳が飛んできたでしょう。もともとこれは、指導者と部員、先輩と後輩という上下関係(権力関係)を徹底させるための言葉遣いだったのです。

当時の体育会は、〝前近代的で遅れた社会集団〟とされていました。偏見もあるでしょうが、多数派の軟派な学生が「ありがとうございます」のような言い方を嫌ったのは、「あんなのといっしょにされたらカッコ悪い」と思っていたからです。親切にされてお礼をいうのは当然ですが、会社での業務上の連絡にまで「ありがとうございます」を連発するのでは、自分が劣位にあると認めているようなものです。

近代的な人間関係の原則は“ひとはみな平等”です。会社において上司が部下に命令するのは職階が高いからで、人格的に優れているからではありません。だからこそ欧米では、会社を離れれば上司と部下は対等だし、お互いにニックネームでタメ口をきくのです(建前の要素は多分にありますが)。

アメリカの会社で上司が先のようなことをいったら、「なるほど。クールですね」「超ラッキー!」というような会話になるでしょう。良くも悪くも、職場はかぎりなくカジュアル化、フラット化しています。

それに対してなぜか日本では、若者たちの言葉遣いが「体育会化」する一方です。「よろしかったでしょうか」などの現代口語と同様に、丁寧語や謙譲語が過剰になるのは人間関係でリスクを避けるための用法なのでしょう。「ありがとうございます」といわれて、怒り出すひとはいないからです。

それでも私は古い人間なので、「べつに礼をいわれるようなことはしてないよ」と思ってしまうのです。

(『週刊プレイボーイ』2014年2月3日発売号)

(記事)

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◆真の・言霊の『ありがとうございます』

◆題目◆真の・言霊の『ありがとうございます』
【解説 No.0015-1/1 自己援用】●世間一般に使われている『ありがとうございます』という言葉は、感謝やお礼という限定的な小さな意味です。

真の・言霊の『ありがとうございます』が保持している本当の意味を列挙します。
   【凡例 / 神さま:宇宙造化主】
①真の神さまの名前です。
②真の神さまの働きのすべてです。
③真の神さまそのものです。
④心の向きを真の神さまに定めているのです。
⑤真の神さまの御名を崇め、呼んでいるのです。
⑥真の神さまとの出会い、一対一の対面です。
⑦一瞬一瞬新たに新たに、真の神さまのすべてを、受け入れ・受け直しているのです。真の感謝です。
⑧真の神さまを、『新たなる全徳の無限の無限の輝きが、無限に無限に一杯!』と、最高・最大に褒め讃えているのです。
⑨真の神様から感受したすべてを、即座にお返しして循環させる、真の神さまへの恩返し・真の恩返しです。
⑩一切の我を捨てて神意随順する、真の神さまへの絶対奉仕・真の絶対奉仕です。
⑪真の神さまの絶対の愛に全幅の信頼を置いた、真の神さまへの全託・真の全託です。
⑫真の神さますべてとの、縦横無尽の循環交流です。
⑬真の神様のすべてとの、愛の与え尽くし合いによる融合一体化です。
⑭真の神さまとの『真の絶対の愛』の一体感です。真の絶対の愛は、一切の対立の無い、一切の差別の無い元から完璧な一つの、完全極まりなき一体感です。
⑮真の神さまの自覚です。真の悟り・最高の悟り・最大の悟り・究極の悟り・本物の悟りです。
⑯真の『ありがとうございます』は、『真の神さま』です。

      おおはらいのことば
  ◆神道の大祓詞◆
      あま のりと ふとのりとごと の  か の
『 ・ ・ ・ ・ ・ 天つ祝詞の太祝詞言を宣れ、此く宣らば、
                                  あ はらい
  ・ ・ ・ ・ ・今日より始めて罪と云う罪は在らじと祓たまへ
清めたまふ事を ・ ・ ・ ・ ・』の、天つ祝詞の太祝詞言とは、 

言霊の『ありがとうございます』です。

   ◆般若心経◆
般若心経の説いている真髄は、「ありがとうございます」なのです。本当にそうなのです、だからあの一行目の「観自在菩薩行深般若波羅密多事 照見五蘊皆空 度一切苦厄」とありますが。「般若波羅密多」という、これが祈り言葉になるのです。
だから、新たな全徳の無限の無限の輝きが一杯というような祈り言葉なのです。だから「ありがとうございます」という・・・。「ありがとうございます」を深く祈ると、「五蘊皆空」というすべてのものが「空」に見えてくるのです。「空」というのは絶対とか光源を表すのです。だから光源と現れが一つになるというのは、光源をまともに向いて、まともに見て、光源と一体化して見えるのです。そこには一切の闇はなく、無限に無限に輝いた姿だけをとるのです。そうしたら一切の苦役が消えて無くなるのです。だから「ありがとうございます」は神さまにまともに向く生き方です。そして無限に無限に輝いた姿を一瞬一瞬受け直しているのです。だから「ありがとうございます」が般若心経の本当の真髄を表すのです。
一番最後の「掲帝掲帝波羅掲帝」これは祈り言葉なのです。これを日本語に直して「ありがとうございます」です。「掲帝」は輝いているという意味、「輝いている輝いている」。「波羅」で無限にという、無限に輝いているという意味です。だから「ありがとうございます」という、無限に無限に輝いているという意味なのです。だから日本人は「ありがとうございます」でいいのです、般若心経を全部読まなくてもいいのです。あれは説明文ですから、祈り言葉を唱えたらそれで十分です。「ありがとうございます」ですべてです。
【H.26.2.21 PM9:18 ありがたく存じ奉り候。】【at Mr.野州】
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