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【ソ連もウクライナも子供の救出に全力】 毅然と子供を救う行動に出たウクライナ共和国の英断、そしてそれを許したソ連邦幹部は危機管理の何たるかを知っていたのである。

BRAN

ソ連もウクライナも全力で子供の救出した!という報告である。
日本は、いま、子供たちを全く助けようとしない。
それどころか逆に子供たちを被曝させている。まさしく冷酷非道な鬼畜の国家である。
(飯山一郎)

原発事故直後キエフからクリミアへ大量学童疎開が実施されたという話
Posted 4月 2nd 2014

今話題のウクライナ・キエフ、クリミア半島を2011年7月に視察したという篠原孝衆議院議員がチェルノブイリ原発直後、原発から120km離れた首都キエフで児童生徒に対して、クリミアへの集団学童疎開が行われていたということを報告しています。

通訳女性の話↓


[しのはら孝blog]

<オリガさんの1986年4月26日>

「25年前の事故の時、オリガさんはどこで何をしていたの」という質問に対する答は、私もあっと驚くものだった。無駄と思われるお喋りも役に立つことがあるのだ。

何か大変なことがチェルノブイリで起こったらしい、という噂がパーッと広まった。近所の医者は危険を察知し、息子を遠くの知人に預けるべく空港に向かったが、キエフ脱出を図ろうとする同じような人ばかりでチケットは買えず、列車も満席。やむなく車を1日中走らせて別の都市に行き、そこで飛行機に乗せグルジアの友人のところに送り込んだ。ところがオリガさんは、父は出版社の社長、母は国語の先生であり、父の方針で抜け駆けは自制した。


突然小・中学生がバスに乗せられ保養地行きという話↓


<突然のクリミア保養地行き>

すると、5月中旬、突然入学試験を前にした最高学年(日本の中学3年?)を除き、全小・中学生がバスに乗せられ、チェルノブイリから少しでも遠く離れた所(オリガさんの場合はクリミア半島の保養地)に送り込まれた。学校の門の前にバスが止まり、次々と乗り込まされ、何が何だかわからなかった。聞きつけた母親たちが集まり、泣き叫んでいた。子供たちもどこに連れて行かれるのかさっぱり分からず、不安な気持ちで旅立った。

クリミアの保養地に着いた途端、着ている服は脱がされ、取り上げられた。オリガさんは、その服の柄を今も鮮明に覚えている。いつ帰れるのかもわからず、回りからは被爆者と言われ嫌な思いもした。その一方で、親元から離れ自立しなければならないので、洗濯をし合うなどクラス仲間とは絆が深まり、団結心が培われた。

チェルノブイリ原発の爆発は10日間で一応おさまり、放射能漏れも少なくなったのだろう。3ヶ月後夏休みも終わりになる頃にはキエフに戻れた。

4月26日から1ヶ月の5月中旬にはキエフから子供がいなくなった。


<誰も知らないキエフの大量学童疎開>

それなりにチェルノブイリものを読んできだ私にとっても、子供が120km離れたキエフから大脱出した話は初耳だった。私は、すぐさまこの件を大使館や日本の関係者に電話で伝えた。私の出張目的は農地汚染による出荷制限や作付け制限、土壌汚染の除去等にチェルノブイリの経験を教えてもらうことだが、その前に子供の優先避難という大問題に出くわしたのだ。そして驚いたことに、私が電話で伝えた関係者の誰一人としてこの計画的学童疎開の事実を知らなかった。

ウクライナ大使館は早速事実を調べてくれた。旧ソ連時代のことで資料はそれほど残っていないようだが、大使館の現地採用の人たちも皆大量学童疎開のことを知っており、オリガさんの話を補強してくれた。

オリガさんの説明どおり、4月26日から1ヶ月の5月中旬にはキエフから子供がいなくなっている。幼児はどうしたかについては疑問が湧くが、多分避難させたくても母親も一緒となると施設の問題でできなかったのだろう。幼児は屋内退避できるが、元気盛りの小中学生は外に出るから無理と考えたのかもしれない。また小学校に上がる前の幼児は集団生活ができないため、仕方なく家に置かれたのかもしれない。


大袈裟にしたくなかったソ連政府とウクライナ側が対立し、子供を守らなければならないというウクライナが大決行したらしい。

福島に置き換えるとソ連が日本政府、ウクライナが福島県に相当か。


<ソ連もウクライナも子供の救出に全力>

キエフの当時の放射能量は、ソ連政府が秘密にしており、分からないだろうというのがオリガ解説。秘密にし大袈裟にしたくなかったソ連政府とウクライナ共和国の間には、相当凄まじいやりとりが行われたことは想像に難しくない。しかし、子供を放射能汚染から守らなければならないというウクライナ側が、鉄の意志で大決行したのである。これは正確ではないが、オリガさんはウクライナの1人の女性幹部が必死で動いたという。

農業や土壌について事故対応のことを聞いても、「大体1991年からは・・・」という答えしか返ってこない。つまり1986年はまだ旧ソ連体制下であり、ゴルバチョフの改革の時代と重なり、かつ崩壊寸前の状態でろくな対応策が講じられなかったのが伝わってくる。そうした中で、毅然と子供を救う行動に出たウクライナ共和国の英断、そしてそれを許したソ連邦幹部は危機管理の何たるかを知っていたのである。


福島原発のニュースが流れると、ウクライナで日本大使館に子供の避難を受け入れるという電話が殺到したが、電話を受けた大使館員は、なぜそういう申し出が多いのか理由がわからなかった。


<ウクライナの原発学童疎開と日本の子供の受け入れ申し出>

福島原発のニュースが流れると、ウクライナでは日本大使館に子供の避難を受け入れるという電話が殺到したという。電話を受けた大使館員は、なぜそういう申し出が多いのか理由がわからなかった。キエフからの学童疎開という原体験があり、身につまされてこう申し出ていたのである。ウクライナで見る世界地図上の日本は、小さな点に毛が生えたくらいの広さで右端にある。福島原発事故で全国が汚染され、日本から子供を脱出させなければならないのではと、誤解するのも無理はない。

日本は広島、長崎のことがあり、チェルノブイリ支援に相当肩入れしてきたが、そのことを何よりもウクライナ国民が承知していた。そして今度は同じようにお返ししようとしてくれているのだ。

日本とウクライナ、学童疎開の記憶には67年前と25年前の差があり、どうも日本では忘れ去られウクライナでは鮮明に残っているようだ。


(日本でも戦争中は空襲から子供を守るために積極的に集団学童疎開が実施されていた。)

-link

しのはら孝blog


キエフ州出身のサッカーウクライナ元代表アンドリー・シェフチェンコ選手は家族と一緒に、黒海沿岸に避難したという。


Ukraine in the 20th Century

The village where he lived was not far from the site

and was therefore one of the many to be affected by the catastrophe. As a result, Andriy

and his family were forced to relocate to the coast as to escape the effects of the

explosion.

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