長春護国般若寺

長春護国般若寺
しばらく中国吉林省の長春市に滞在するので、満州国の首都であった長春の歴史や建築物などを紹介したい。
川島芳子が戦後に長春で潜伏していた間に、活動していた拠点の一つが長春護国般若寺である。目撃者の証言によれば、寺では若い女性の付き人が川島芳子の世話をしていたという。この証言からすると、川島芳子は戦後の中国でも特殊な身分だったようだ。
般若寺の建設が始まったのは1922年に高僧が長春で般若経を講じて、多くの信者が帰依したことがきっかけだった。そこで信者たちが土地や費用を寄付して寺を建設することになった。
ところが寺の基礎を建設する準備していた途中に、満州国が成立して長春は新京と名づけられた。当時は道路が完備しておらず、満州国建国後に道路建設のため建立されたばかりの般若寺は立ち退くことになった。
般若寺の移築には川島芳子の兄で新京市長であった金璧東が市から別の土地を提供させ、移築の費用を自らのポケット・マネーから寄付している。こうして長春般若寺は成立時から川島芳子と関係が深かったのだ。
般若寺には都築玄妙という特務機関と繋がりのある僧侶がおり、この僧侶は戦後に長野県の善光寺の僧侶となっているので長野県松本に住む川島浪速とも何かしらの連絡があったのかもしれない。
野崎晃市(42)