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孔子伝(11):魯国でクーデター勃発

八佾
八佾(はちいつ)の舞

孔子が洛陽から魯国に戻ってきたころ、国内では魯国の君主と貴族たちが緊張状態にあり政治的危機に発展していた。魯国で最も権力を握っていたのは貴族の季孫氏で、それに続いて孟孫氏と叔孫氏があった。これら三家はみな魯の桓公の子孫であったため、当時の人々からは「三桓」と呼ばれていた。

紀元前562年ごろに季孫氏の要求により魯国の政府は軍隊の改変に着手し、君主に兵卒を提供していた村落共同体は上・中・下の三軍に分けられ、「三桓」がそれぞれ一軍を率いることとなった。季孫氏らがこのような軍の改革を進めたのは、軍権を君主から奪い取って自家の私兵にするためであった。

こうして「三桓」とりわけ季孫氏の実力が増強されたが、魯国の君主の実権は大幅に低下し権力の伴わない君主となっていた。例えば季孫氏の季平子は君主のところから引き抜いた楽団と自分の家の楽団を併せて八佾(はちいつ)とし、天子だけがとり行えるとされていた八佾の舞による楽舞を主催して権力を誇示した。

これには君主の昭公もさすがに激怒し、魯国朝廷の大臣たちの間にも季平子への不満が高まっていた。昭公は季孫氏を殺す計画を立てて軍を率いて討伐に乗り出し、まず季平子の兄弟の季公之を血祭りにあげて季孫氏の門に攻め入った。ところが叔孫氏の家臣が兵を率いて季孫氏の救援に駆けつけ、孟孫氏も挙兵して昭公の部隊を撃退した。

この挙兵が失敗した事で、昭公を支持していた人たちはみな散り散りに逃げ、昭公も亡命を余儀なくされる事となった。昭公は侍従を連れて斉国へ逃げ、その後に再び晋国へ逃げその後七年にわたる亡命生活を送り最後は晋国で客死した。

孔子が洛陽から帰った後に体験したのは、こうした魯国の君臣間の争いとクーデターの勃発であった。この闘争の中で双方が示した陰謀や権力欲は、孔子の目を背けたくなるような醜いものであった。孔子は季平子の八佾の舞について、「八佾の舞はとても許せるものではない」と批判している。

国の君主たるものが君主らしく振舞わず、臣下たるものが臣下として振舞わず、完全に礼の尊敬の心や謙譲の原則を忘れ、君臣の分が乱れていることに孔子は心を痛めた。この事件をきっかけに孔子は亡命した昭公の後を追うように、門徒たちと共に斉国に行く決意を下すことになる。

野崎晃市(42)

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