飯山一郎のHPへ  里子のブログへ  大気拡散予測と気流予測  皇后陛下ご発言  超 少 食  玄米で乳酸菌  状況認識!  連帯拒絶!
飯山一郎の白蛇様
『文殊菩薩』  What?  Photo 末世の争乱近し.英雄出ず.ひたすら健康延命図るべし.

※ 一日一食は聖者の食事。一日二食は人間の食事。一日三食は動物の食事。 記 事    

孔子伝(13):斉の景公に政治を問われる

孔子聞韶処
山東省淄博市にある孔子が韶を聞いた場所

孔子は斉国に亡命した昭公を追うように斉国に赴き、昭公を魯へ復帰させるために斉国の君主であった景公に近付いた。孔子は息子の誕生時に鯉を賜り、また洛陽への留学を支援した昭公に恩義を感じていたのであろう。

しかし斉の景公は亡命してきた昭公を復位させるという大義名分で魯国に攻め込み、昭公を傀儡君主にしようと計画していた。孔子と景公とは昭公を魯国の君主へ復位させる点では一致していたものの、その目的は全く異なっていたのである。

孔子は斉国の都城である臨淄に到着すると、まず斉国の貴族の高昭子を訪問して彼の家に逗留した。彼の紹介により斉の景公との会見が決まり、景公は孔子が博学で礼をよく知ると聞き及んで政治について孔子に質問した。

景公から政治とは何かについて質問されると、孔子は「政治とは財政を節約することです」と答えた。斉の景公は毎日のように酒の宴を催し、四千匹もの馬を飼うなど必要以上の贅沢に耽っていた。一方では民衆から重税を取り立て、国内は疲弊し道には飢民が溢れていた。

孔子が節約を訴えたのは景公が贅沢をやめて重税を軽くし、民の負担を軽減するように希望したからであった。しかし贅沢以外に考えの及ばないこの斉国の君主は、孔子の批判的な意見をすこしも気にも留める様子はなかった。

そればかりか景公は孔子の答えを聞いた後に、孔子に褒美として尼谿という地方を与えることを約束した。それは景公が昭公と孔子を魯国へ攻め込む大義名分として利用しようと考えていたからである。

しかし斉国の賢人として名高い宰相の晏子が孔子を重用することに反対した。晏子によれば孔子の礼楽を重視する思想は、学びきれるものではなく実用的でない机上の空論であった。

さらに昭公の復位への支援も、斉の大夫が反対したために行き詰まってしまった。当初の魯国に攻め込んで昭公を復位させる計画は棚上げになり、昭公の復位に向けて活動していた孔子も斉国にとって利用価値がなくなった。

斉の景公は孔子を尼谿に封じると言った約束を反故にし、「あまり良い待遇で迎える事はできない」と孔子への約束を撤回した。

さらに斉の大夫が孔子を殺そうと企てているという知らせが孔子の耳に入った。孔子は斉の景公に助けを求めたが、景公からは「私は年をとったのであなたを用いることができない」と無下に断られた。

こうして孔子は門徒たちと共に斉国を離れざるを得なくなり、斉国での一年半ほどの滞在を終えて魯国へ帰国することになった。

命を狙われる緊張した状況で、洗ったお米を炊く余裕もなくそのままにして急いで逃げるようにして帰国したという。

こうして昭公の復位へ向けた活動や仕官の望みはかなわなかったが、孔子が忠義を尽くす人間であるという評判は高まった。

また斉国では「韶」と呼ばれる伝統音楽を聞いて三カ月間も食事を忘れるほど熱中するなど、孔子の礼楽や教養を深める面での熱意はますます深まっていった。

野崎晃市(42)

コメントの投稿

非公開コメント

文殊菩薩カウンター
おひかえなすって 手前 生国は野州 栃木でござんす

薩摩の黒豹=飯山一郎

Twitterボタン
16SHARP
飯山本シャープ飯山店
白蛇様に願かける
『文殊菩薩』の記事一覧
大気拡散予測 (毎日必見!)
空間線量率(県別)  便覧   狸
生き方考え方を大変革!
食べない生き方
放知技』↓をココで読む。
検索フォーム
高いモノは買わない!

飯山一郎ブランド

『霧島の秘水』
飯山一郎ブランド

『ミラクル大豆』(豆乳)
最新記事
miniPortal
リンク
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
 ▲TOP