ドラマ「大秦帝国の崛起」

山東省にある蘇秦の墓
最近、中国中央テレビで放送されている歴史ドラマ「大秦帝国の崛起」を見ている。このドラマは、秦の始皇帝の祖父にあたる秦の昭襄王の時代を扱った時代劇だ。
昭襄王は始皇帝の影に隠れてあまり有名ではないが、秦国で最も長く56年間も統治し秦を強国に育て上げた名君であった。
なぜ昭襄王が主役のドラマが作られたかと言うと、昭襄王の母親の一生を扱った「羋月伝」というドラマが数年前にヒットしたため、この時代に対する関心が高まったためのようだ。
ドラマ「大秦帝国の崛起」では、以前にもこのブログで紹介した斉国の孟嘗君のエピソードが出て来る(記 事)。もともと斉国の宰相だった孟嘗君を、秦の昭襄王がスカウトして秦の宰相に招聘しているのだ。
ところが昭襄王は後に孟嘗君が斉と通じていると疑い暗殺しようとする。秦から危機一髪で逃れた孟嘗君は再び斉国に戻り宰相に返り咲く。
このドラマでは孟嘗君が斉国を出て秦国へ行かざるを得ない情況を作り出したのは、合従策で知られる縦横家の蘇秦であったように描かれている。
蘇秦に関しては1973年に長沙の馬王堆墓から見つかった『戦国縦横家書』などにより、司馬遷が「史記」に描いた人物像にかなり誤謬が含まれていたことがわかっている。蘇秦には蘇代・蘇厲という兄弟がいたのだが、司馬遷はしばしば蘇秦と兄弟たちの業績を混同しているらしい。
そうしたこともあり、このドラマでは蘇秦の果たした役割について、大幅に新しい解釈を取り入れているようだ。ドラマでは蘇秦は秦に対抗するために合従策を唱えたというより、斉を滅ぼすために行動したことになっている。
歴史も時に新たな発見により大幅に訂正されたり解釈が変更されることがあり、それが現代人の意識まで変えることがあるから面白い。
野崎晃市(42)