中国で60年間牧畜に従事した米国人の女性核物理学者
ジョアン・ヒントンとエルビン・アーンスト夫婦
米国人ジョアン・ヒントン(Joan Hinton)は若い頃にシカゴ大学核物理研究所の大学院生として原子爆弾の開発に携わり、ロスアラモスでエンリコ・フェルミの助手としてマンハッタン計画にも参加した。
シカゴ大学のフェルミの研究室では、後にノーベル物理学賞を受賞した中国人物理学者の楊振寧と共に実験をしたこともあったという。
ところが、彼女は広島の原子爆弾投下による非人道的な破壊に心を痛めて核物理学を放棄し、夫と共に中国に渡り60年間牧畜業に専念することを選んだ。
もちろん中国でも核開発の研究に加わるよう誘いはあったが、特別待遇や高給が約束された中国の核開発への参加を拒否した。
夫のエルビン・アーンスト(Erwin Engst)はコーネル大学で農業を専攻し、戦後間もない1946年に中国に来て共産党の本拠地であった延安で牧畜の指導を始めた。
彼らは中国人民共和国の副主席となった元孫文夫人の宋慶齢の紹介で、共産党政権を支援するために早期に中国に来た外国人専門家の一人であった。
ジョアン・ヒントンとエルビン・アーンストは1949年に中国で結婚し、夫婦で60年間にわたり主に牧畜の指導に当たった。
ちなみに、ジョアン・ヒントンの兄のウィリアム・ヒントン(William Hinton)はジャーナリストで、中国の革命運動を紹介した『翻身』『鉄牛』などの作品で知られる。
野崎晃市(42)