長門の楊貴妃伝説

長門市にある楊貴妃の墓
山口県長門市の海岸に突き出た半島には楊貴妃の墓があり、中国より楊貴妃が亡命してきたとの伝説が残っている。
唐の玄宗皇帝に中国一の美女として皇帝の寵愛を受けた楊貴妃だが、正史では若くして殺されたことになっている。
安禄山の反乱により長安が攻め込まれ、皇帝と妃たちが四川に逃げる途中で、皇帝を守る兵士たちが楊貴妃殺害を要求したためだ。
兵士たちは、皇帝を政治から遠ざけて安禄山を反乱に追い込んだのは楊貴妃が原因だと主張し、彼女の殺害を要求したのである。
皇帝は兵士たちをなだめる為に、愛してやまない楊貴妃の殺害をやむなく許可したのであった。
ところが、長門市には楊貴妃が替え玉を使って死を逃れ、秘かに日本に亡命したという伝説があり、彼女の墓まで立てられているのだ。
なんと、唐の高級官僚となっていた遣唐使の阿倍仲麻呂が、秘かに楊貴妃を匿って日本に亡命させたというのである。
ちなみに、阿倍仲麻呂と安倍晋三には直接の血縁関係はないが、祖先をたどれば阿倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)に行きつくという説もある。
野崎晃市(42)