8.15に終わらなかった戦争

山西残留日本兵を扱った『蟻の兵隊』
今日は各地で終戦を記念する行事が挙行されたが、実際には1945年8月15日をもって全ての人に戦争の終結が訪れたわけではなかった。
例えば、山西省太源に司令部を置く日本軍第一軍の兵士たちは、地方軍閥の閻錫山軍への協力を強いられて中国に残留させられた。
司令官だった澄田ライ四朗が兵士たちを閻錫山の元に残す密約を交わし、自分だけはいち早く飛行機で日本に帰国したからである。
残された兵士たちは閻錫山軍と共産党軍の戦に巻き込まれ、生き残った者は共産党軍の捕虜となり1954年まで収容所に入れられた。
私は数年前に元残留日本兵の山下正男氏から話を聞いたが、「司令官が部下を見捨て一番に逃げた」と怒りを込めて語っておられた。
残留日本兵が帰国した後も日本政府は責任を認めようとせず、山下氏が衆議院で証言しても政府からは何の補償もなかったそうである。
福島原発を見れば、日本のトップリーダーが国民を見捨てて責任を取ろうとしない体質が今でも全く変わっていないことが分かるだろう。
野崎晃市(43)