浅沼稲次郎暗殺事件の謎

浅沼稲次郎暗殺の瞬間
上の写真は1960年10月12日に日比谷公会堂で演説をしていた社会党委員長の浅沼稲次郎が暗殺される瞬間を捉えたものである。
犯人の山口二矢は大日本愛国党の赤尾敏に影響を受けた右翼青年で、犯行後に拘留中に首吊り自殺して事件の真相は闇に葬られた。
私がこの写真に興味を持ったのは、知人がこの写真を見て犯人の短刀の持ち方が素人とは思えないと教えてくれたからである。
古武術に詳しいその知人によれば、青年の腰の落とし方や短刀の握り方は忍者のような暗殺のプロから訓練を受けたように見えるという。
素人には刃物で人を殺すのは難しく、青年のように一、二撃にて致命傷を与えるのは相当の訓練と腕前が必要になるというのだ。
さらに、それを聞いた日本史研究者の知人は浅沼稲次郎の暗殺の動機にも謎が多いと指摘した。
山口二矢の犯行の動機の一つが、浅沼が中国で「米帝国主義は日中共同の敵である」と語ったことだとされている。
しかし、浅沼稲次郎が訪中した際に何らかの秘密の情報を与えられ、それが暗殺の真の原因となったとの異説があるのだそうだ。
一枚の写真からでも専門家が見れば色んなことがわかるものだと、私は二人の議論を感心しながら拝聴した。
野崎晃市(43)