スクモ塚古墳考

島根県益田市久城町にあるスクモ塚古墳
先月に大阪や鹿児島で飯山翁と古墳巡りをしてから、どうも前方後円墳のことが色々と気にかかって調べている。
というのも、筆者の実家の近くにスクモ塚古墳という5世紀ごろに造営されたとされる前方後円墳があるからなのだ。
筆者は幼い頃によくこの古墳を遊び場としたが、横瀬古墳と同じように海からも川からもそう遠くない場所に位置している。
この古墳には伝説があり、クシロ族と呼ばれる縄文系部族の首長が祭られているとされ、クシロ姫を祭る神社も近くにある。
そのクシロ姫を祭る櫛代賀姫神社が合祀しているのが応神天皇で、ここでも前方後円墳と応神天皇の密接な関係が出現する。
古墳所在地の地名ともなっている久城(クシロ)というのは、北海道の釧路と同じでどうやら川のそばを意味する縄文語らしい。
確かに、クシロ姫が祭られている神社の傍には益田川が流れており、神社の傍の山には川からカニが産卵に集まる。
スクモ塚という名前については、スクモは方言でもみ殻を意味し、古墳がもみ殻を集めて作った塚との伝説から来ているそうだ。
しかし、古アイヌ語で大きなヤマを意味するシクマあるいはセクマから転じてスクモとなった可能性もあるのではなかろうか。
そうすると、クシロにあるスクモ塚とは古アイヌ語で解釈すると、川の近くにある大きな山という意味になりちょうど地形と一致する。
クシロ族は船に乗って瀬戸内海を通じて日本海沿岸のこの地に流れ着いたそうで、横瀬古墳や応神天皇陵との関係に思いを致させる。
野崎晃市(44)