仁徳天皇陵の発掘調査が始まる

仁徳天皇陵
宮内庁と堺市による仁徳天皇陵の合同発掘調査が始まると聞いて、今年の7月18日に大阪で古墳巡りしたことを思い出した。
大阪で仁徳天皇陵・仲哀天皇陵・神武天皇陵などを巡ったのは、翌日に鹿児島で故飯山一郎翁から古墳に関する講義を受けるためだった。
ちょうど、今回の仁徳天皇陵の調査は周囲の三重濠を調査するとのことであったが、鹿児島の横瀬古墳にも本来は三重濠があったという。
飯山史観によれば、戦国時代に種子島から堺に鉄砲が渡ったのと同じように、古墳文化もまた鹿児島から堺に渡ったのだそうだ。
また、堺のおっさんによれば、古代の船も瀬戸内海は海賊が出没するので避けて、さんふらわあ号と同じく黒潮に乗って太平洋を北上したのだとか。
ちょうど古墳が昔の海岸線や川から見えるような位置に築造され、水上交通の目印となっていたらしいことも両地の古墳に共通している。
確かに仁徳天皇陵からは、朝鮮半島や中国製と思しき鎧や鏡などが発掘されており、古代より海上交通による往来が頻繁だったことを伺わせる。
野崎晃市(44)