台湾228事件における白崇禧

白崇禧将軍
中国人の友人から、白崇禧の子供が著した「228事件における白崇禧」と題する本を頂いたので、さっそく読んでみた。
白崇禧は中華民国の将軍で、広西省を拠点に李宗仁と共に桂系に属し、国防長官でありながらしばしば蒋介石と対立した。
蒋介石は内心では白崇禧を快く思っていなかったが、李宗仁をけん制するため台湾に呼び、228事件の処理に当たらせた。
228事件とは1947年2月28日に台湾で発生した暴動で、国民党政府の鎮圧により多くの死者と逮捕者を出した事件である。
白崇禧は事件の穏便な処置を主張して、みだりに住民を殺害しないよう軍と警察に訓告し、多くの逮捕者に恩赦を与えた。
また、事件の鎮圧にあたった警備総部参謀長の柯遠芬が徹底弾圧を唱えたことを批判し、蒋介石に柯遠芬の罷免を要求した。
しかし、最後は蒋介石から煙たがられて閑職に追いやられ、引退生活を送っていた73歳の時に毒を盛られて暗殺されたようである。
野崎晃市(45)