吉備真備が書いた墓誌銘

「日本国朝臣備」は吉備真備か
阿倍仲麻呂と同時期に遣唐使として派遣され、17年も中国に留学していた、吉備真備の書いた墓誌銘が中国で見つかった。
この墓誌銘は外交使節を迎える役人の李訓という人物のために書かれたもので、「日本国朝臣備書」と文末に記されている。
吉備真備は中国で張旭という書道の大家に学んでおり、書に優れていたので、中国で世話になった故人のために書いたのだろう。
報道では吉備真備の真筆は日本にも残っていないとあるが、吉備真備の筆と伝えられる写経が上原美術館に所蔵されている。
また、Wikiの情報によると吉備真備による「虫喰切」「南部の焼切」という断片もあるようなので、比較すれば真偽が分かるだろう。
墓碑銘が書かれたのは開元22(734)年だそうだが、国の名前として「日本国」が登場するかなり古い例なのではないだろうか。
ちなみに倭国を日本国と改名したのは、702年ごろ則天武后によるが、百済系の遣唐使であった粟田真人の建言だったようだ。
野崎晃市(45)